かたち

君は
猫のかたちをしてそこにおり、
猫のように動いている。
私は
人のかたちをしてここにおり、
人のように動いている。
それはほんの
わずかな違いである。
両足をそろえて
打ち込まれた杭の上に君は座っており、
何か言いたげな顔で
こちらを見ている。
見渡す限りの曇り空は
もうすぐ雨になるだろう。
雨が降り出せば君は
もうそこには居ないだろう。
どこかもっと居心地の良いところに移動して
風の音を聴いているだろう。
わたしとて同じ。
同じ球の上に乗って、
暗い宇宙をどこまでゆくのだから。
夜は
単に方向の問題なのだ。
誰もが分かりきった顔をして
分かりきったことを口にしなくなるから、
わたしは言葉を掘り起こしたくなる。
意味など思いつかないのだが。

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バランス

地上九階の世界は
いつだって渦巻いている。
窓の隙間から音が忍び込んでくる。
それは水底と同じ。
地表と空の間にあって
水が行き来するのを知らぬ顔で見ている。
ちょうどバランスがとれているから、
水はお互いを巡るのだろう。
一方通行ではないということは
バランスがとれているということなのだと
私は思うのだけれど、
しかしそれがほんのわずかな
偶然によって成り立っているということを
誰もが忘れている。
馴れるということは愚かなことだと思う。
馴れることがすなわち
バランスなのだと言ってもいいかもしれない。

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寒桜

寒桜が咲いていました。
染井吉野ばかりが桜ではないと
わたしは思います。
雨は上がったばかりで、
空はどんよりと重い顔をしていました。
花びらは濡れないと開かないのだと
誰かが言っているのを聞いたことあります。
低いコントラストの世界で
薄紅色の花びらはもう
はらはらと舞っていました。
小さな子供達は、やはり桜の下で
それをてのひらで捕まえようと
伸び上がっていました。
それがわたしには何かの踊りのように見えます。
よろこびというのは
何かを捕まえようとすることかもしれません。
桜が与える喜びは
ほんのひとときのものですが、
だからこそ捕まえるべきなのでしょう。

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こころ

雨は季節の緞帳である。
それは降りたり上がったりして、
その間に舞台は転換している。
雨が多くなってくると
あぁまた変わるのだと思う。
角度の付いた期待を
将棋の駒のように差す。
不安な未来を冷たい氷のように持っていて、
今のぬくもりでとかすことができないとしても
わたしたちには歌がある。
静かに歌はながれている。
そして口ずさむ。
そのようにして炎を守ればよいと思う。

時間にかかわることは
みな物語である。
そう思って差し支えない。
あらゆる手続きは時間の上に乗っている。
それらもまた物語である。
時間の上に乗せることを止めれば
物語を見失うことになる。
レコード盤のように回りながら
再生しつづけるしかないのが
いのちというものだと思う。

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主人公

「人は物語を紡ぎながら生きてゆくものです。
 あなたの物語の中では、あなたが主人公でなくては
 なりません。自己肯定感を持たなければなりません。
 決して茫漠感を持ってはなりません。
 しかし、自分を主人公に置けない人が増えているのです」

テレビをつけたら、そんなような言葉が流れ出してきて、
私は上着を脱ぎかけたまま固まったのでした。
テレビには、あまり好きではない小説の作家が出ていて、
戸籍の無い子供たちのドキュメントについて
コメントを述べていました。
ありふれていて、少しキザな言葉のようではあるけれど、
何かが私のどこかに引っかかる気がしました。
素直に流れてゆかないものはすくい取っておくべき
ものなのだろうと思います。
私はメモを取り出して、それを書き留めました。

この頃また季節が動いたことを感じます。
いつだって季節は動いているのですが、
雨が降る度に、塗り替えられてゆくものを
私は季節と言っているような気がします。
雨の予報が出ていると、あぁまた何かが
変わるのだなと思います。
そういうことを丁寧に感じる必要があると
思うのです。
焼却場の煙突から昇る熱い息のようなものが
やがて見えなくなる日が来るのでしょう。

私は、もう少しビジュアルに
物事を考えればよいのかもしれません。

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過放電

「バッテリーが上がった」というのは
間違った表現ではないかと思う。
下がった」のではないかと思うのだ。
電圧って下がるものでしょう。
あるいは失った、といってもいいかもしれない。
電気ってそういうものでしょう。
小さな池に溜められる電気などすぐに放たれてしまう。
科学というものは損なうことを止められない。
それで私はスパナでナットを回し、
ターミナルを引き抜いて、
バッテリーを車体から取り出した。
充電をしようと思って。
無くなったものは注げばいいのでしょう。
ネットワークの網の中から言葉を拾い集めてみると、
人々は寿命があると言っている。
知っている。
全てのものに寿命というものがあって、
いつか損なわれる。
この星でさえそうなのだから
それはとても宇宙的なことなのだろうと思う。
しかし今はただ充電を試みて
ほんのひとときの復活というものを願っている。

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厳冬

夜、帰り着いて
エアコンのスイッチを入れ、
電気ケトルでお湯を沸かしていたら
バチンとブレーカーが上がって
真っ暗になった。
沸きかけたケトルの
シュルシュルという音が
もう少しだったのに
と残念そうに言っているようだった。
私はスマートフォンの
ライト機能を使って
手元に灯りをともし
クローゼットを開けて
ブレーカーのスイッチを上げた。
光はすぐに戻ってきた。
今までこんなことって
あまりなかったな、と思った。
これが寒さ、というものなのだろうか。
私はまずお湯を沸かし、
それからエアコンのスイッチを入れた。

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学習

あらゆる「学習」は
限りなく少ない状態で行うべきだと思う。
この頃は選択肢がとても多く、
仕事でも趣味でも恋愛でもなんでも
何から手を付けるべきなのか
何を選ぶべきなのか迷うことが多い。
若い世代になればなおさら
選択肢が多い状態にあると思う。
年配者は
物が少なく、徐々に発達してゆく過程に
生きていたから
最小の選択肢の中から
自分の思うものを選べば良かった。
三つの中からひとつを選んできた人は
千の中からひとつを選ぶことは
比較的容易だが、
最初から千のものがあって、
その中からひとつを選ぶ人は
自分にとって適切なものを
選ぶことが難しいのだ。
何かを見つけるには
自分なりの特性というものがあって、
少ない中からひとつを選ぶことを
繰り返すことで
見つけるための自分なりの方法
あるいは匂いみたいなものを
学習するのだと思う。

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節分

私には私の空しか見えないけれど、
あなたにはあなたの空が見えている。
解体用油圧ショベルの嘴のようなアタッチメントは
解体用ニブルと言うものらしい。
カラスのように瓦礫をついばんでいる。
季節の変わり目には
「鬼」が生じるのだそうだ。
狙いを定めるのは目である。
豆は魔目で、魔滅であるという。
季節とは太陽との関係を示していて、
距離の取り方だろう。
それは私が決めるものではなくて、
あらかじめ決められていることなのだ。

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如月

太陽が東京を暖め始めた時、
私はテレビの中の猫を見ていた。
それから二月になっていることに気付いて、
カレンダーをめくった。
如月。
一月はいぬる、二月は逃げる、三月は去る、と言う。
帰る場所や逃げる場所があるのならば、
追いかけることもできるだろうけれど、
きっとそんな場所はない。
夕陽の中で、猫はのびている。
それから影になっている。
「存在」とはなんだろうな、と
答えがないことを今さら考えてみたりして
まともであるようなふりをしてみる。
しかし、それはひとつの祈りである。
正しくは祈りのようなものである。
季節風は相変わらず洗濯物を揺らして、
私に空を見上げさせる。

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