やさしさ

「やさしい」ということはつまり
「かんたん」ということです。
ですから、ひとは
「かんたん」なものに対して
「やさしく」できるのでしょう。
つまり、やさしくされるということは
かんたんだと思われているということです。
つまり、やさしくされないということは
かんたんではないと思われているということです。
さて困りました。
どちらがいいのか
わたしは分からなくなってしまったのです。
かんたんな人になればいいのか
かんたんではない人になればいいのか。
もしかしたら
そんなことを考えている時点でわたしは
かんたんではない人なのかもしれません。
そういうことは
すぐに見破られるものですから
わたしはとても残念です。
ところで
どんなものでも回転していますよね。
とまっているように見えても
ずっと小さく見ると
電子レベルでは回っているでしょう。
それに地球が回っているということは
わたしも回っているということです。
だからいいんです。
わらっちゃうでしょう。
どうせみんな回っているんですから。

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神無月2015

神のいない月がやってきて
またしても猫たちは海を見ている。
石造りの建物からは
海を見るしかすることがないのだ。
光と
それから影に分かれて
対話するのが季節というものだろう。

何を求められているのか
絶対に考えてはいけません。
その人は占いではなく
しかしきっぱりとそう言った。
ただ意味が通じているかどうか
それだけを考えるのです
それが一番大切なことなのです。
そう言った。
長く会社勤めをしていると
求められるものを取り出すことを
考える癖が付いている。
しかし求められるものを取り出しても
何かを越えてゆくことはできない。
ただ昨日と変わらぬ今が
取り出せるだけなのだ。
そんなことをたぶん私は知っていたのだが、
音声にしてそれを聞きたかったのだろう。

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色彩

光の展示を見て歩く。
色の感じが違うのは
建物の形状と密集の度合いが
違うからなのだろう。
どこまでも続く石畳の上を
歩きながらそんなことを考えていて、
これは見えるものだが、
見えないものも
このように違っているのではないか
ふと
そんなふうにも思った。

九月を使い果たしてしまうと
ことし
というものは、あと三つの月が
残っているだけである。
残っているものが惜しいと思うのは
なんと卑しいことだろう。
ほんとうは
何もかも残り少ないのに。

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川を見に行く

遠い街に行っていた。
時計を七時間巻き戻して
今日をやり直す。
高台に登ってアディジェ川を見た。
太陽はまだ、光を強く放っていたけれど、
もう建物の影が川に落ちていた。
なぜ行くのですか
人はそう問うけれど、
私にはどんな時も答えがない。
馬鹿だから答えを用意しようと思わない。
利口な人はいつも答えを持っている。
そうして物事を綺麗に箱におさめて片付ける。
納得とはそういうことかもしれないが、
自分の行いに意味付けすることが
私にとっては正しくない。
遠い街にも月が昇って
人々はそれを見ている。
紀元前からある円形劇場の前の広場で
空を見上げながら酒を飲んでいる。
沢山の声が風に紛れてゆく。
私はその中を
ひとりで歩いてゆく。

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遠くまでゆく

ピアノって記号は
静かな音を出すっていう意味で、
弱く弾くって意味ではないんです。
分かりますか。
師匠はそう言った。
楽器を習う、ということは
楽器がよく弾けるようになる
という以上の意味があると
いつも思う。
「習う」というのは
出来ないことを出来るようにする
ということであるから、
指摘されることは
常に出来ないことなのであるが、
技術が未熟なためにできない
というよりもっと根本的な何かについて
指摘されているような気がする。

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九月の雨についてうたう歌を
いくつか知っている。
境目はいつも穏やかではすまず、
冷たさと熱さの駆け引きを繰り返す。
どちらが負けるか
分かっている戦いだけれど、
私には落ちてくる雨を
傘でよけることしかできない。
何もできないのが
自然というものだろう。
せめて想い出を
いくつか作ることができたなら
それでいいのだが。

深夜のタクシーに乗り込むと
強く香水が匂った。
走り出してから、
窓が薄く開けられているのが分かった。
柔らかく風は入ってきたが、
香水の匂いはなかなか消えなかった。
私は香水の匂いが
それほど嫌いではないので、
別に構わなかったけれど、
遠い記憶が少し反応しているのが分かった。

考えてみると、この年は
あと三ヶ月と少ししかないのだった。
季節が過ぎてゆくのは分かるけれど、
私もまた消費されているのである。
抗っているわけではないけれど、
関係の糸が細く消えてゆく度に
あやふやになってゆく形を
どのように繋ぎ止めるべきなのか
そんな簡単なことも分からない。

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肉屋

霧のような雨は
降るというよりも漂っている。
人々は
傘を差したり差さなかったりして
緩やかにカーブを描いて下る道を
歩いてゆく。
日曜日には肉屋が閉まっている。
そんなことを私は知らなかった。
その通りには三軒の肉屋があったが、
いずれの店もシャッターを下ろしていた。
日曜日には肉を仕入れることが
できないのかもしれない。
ソーセージ屋は開いていた。
しかし客は居なかった。
私は肉を買いたいわけではなかったから
肉屋が閉まっていることに問題はなかったが、
街の肉屋というものが
どういうものだったか
思い出したいと思ったのだ。
八月が残り少ない。
からっぽになってしまうのは
過去でも未来でもなくて
今というものなのだろう。

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ポエジー

必要か必要じゃないかじゃなくて
詩情というものは
最初からあるんですよ。
と詩人は言った。

あるものをどのように捕まえて
かたちにするのかということ
そもそも創作というのは
そういうことなのだと思った。

無いものを作り出すことではない。
そういうことに
気付かないでいると
時間というものはどんどん
わたしを風化させてゆくのである。

いつだって怒りのようなものは
底の方で渦巻いているのだろう。
しかし、それは渦巻かせておけば
よいものであって、
こころは
ずっと離れた場所にいればよいのだと
そう思った。

もうすぐ雨が降り出すのだろう。
風は無く
洗濯物は湿ったままだった。
曇った空は光を損ないつつあって、
飛来する飛行機の光が
点となって高度を下げてゆくのが見えた。
わたしは洗濯物を取り込んで
部屋に吊した。
静かな日曜日の
夕方である。
とんどん暗くなってゆくが、
灯りをともしたくはなかった。

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警報

雨は、
突然降り出すのではない。
ずいぶん前から準備をしている。
空の向こう側に
もくもくと立ち上がる積乱雲を
君は見ただろうか。
それはやがて地表に落下して
私の足を濡らすことになる。
未来は
ある程度予測できることであるが
なぜか自分には
あまり真実味を持って語りかけない。
どんなに世界が発達しようとも
私は単に骨であり肉なのである。
基本的なことを
時々忘れてしまうのだが、
そうよそんなの当たり前じゃない
またしてもそう言われるだろう。
いつまでも私は
現実というものを見たくなかったのだ。
そうよそんなの当たり前じゃない。
私の中の私が
そう言っていたのだ。

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寿命

風の音が聴こえないんです、と滝沢は言った。
風の音って?
ファンが回って風が出るじゃないですか。
あぁ冷却ファンのことね。
私は排気口に手を当ててみた。
確かに空気は流れていなかった。
ばらしてみるか。
私たちは、ねじを外して鉄の蓋を取り外し、
ソケットからプラグを抜き、
バックパネルの爪を丁寧に処理して
ファンを外した。
見た目は壊れているふうには見えないけどね。
でもこれ、二〇〇四年ですよ導入したの。
ほぅ十二年前か、ファンの寿命って四万時間くらいだから、
とっくに倍以上生きてるな。
人間で言うと百六十歳くらいですね。
人間で言うな。
十二年前ってお前何してた。
僕ですか、僕はええと高校生かな
ボール蹴ってました。
若いな。
先輩は何してたんですか。
俺か、俺はええと。
滝沢これやっぱり壊れてるわ。
外したファンに電源装置を繋いでみたが
うんともすんとも言わなかった。
滝沢さ、
何ですか。
壊れてる、って岡山弁で何て言うか知ってるか。
知るわけないでしょ。
めげとる、って言うんだよ。
めげとる、ですか。
そう、これ、めげとる。
私たちは、めげとる、めげとる、めげとる
と交互に、言葉の意味が無くなるまで繰り返して
それから笑った。

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