PM2.5

「北京は盆地のようになっているので、
 流れて来た公害が溜まってしまうんですよ」
張さんはそう言って空を見上げた。
深い霧のように見える靄は
霧ではなくて公害なのである。
あたりはどんよりとした暗さで
靄を通して太陽の形が丸く見えた。
北京市にはレッドアラートが発令されていて、
街行く人の半分はマスクをしていた。
歩道橋の上で、3Mの高機能マスクを
並べた物売りもいた。
私が北京の街を歩いているということ自体
なんだか妙だし、しかも何だってこんな時期に
そう思うと、いつもながら冗談みたいだと思う。
そこら中にスターバックスがあって、
中は東京にあるそれをあまり変わらない。
「スターバックスに入って珈琲を飲んでいると
 それだけでお洒落だと思う若者が
 まだ多いんですよ」
相変わらず張さんはシニカルだった。
スターバックスラテのトールは33元(約660円)だった。
なんて高さ、こういう舶来のものは高いのか
と思ったけれど、別の地元の飲食店に入っても
一品30元から50元(600円〜1000円)くらいだった。
物の値段は日本と同じかやや高いくらいで、
一般に物価がそうとう高くなっているのが分かった。
「私が学生の頃、2007年くらいはアパートの家賃は
 1万円くらいでしたけど、今は5万円くらいです」
張さんはそう言った。
人々の給料は5倍になったのだろうか
そう思って周りを見回すと、普通そうな
客で店は埋め尽くされていて、談笑しながら
飲み食いをしている。
私は私の中国に対する認識ががらがらと崩れる音を聞いた。

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小春日和

南側のサッシに陽が当たると
彼は、メキ、メキ、と声を上げる。
あれは、伸びをしているんだよ
と私の中の誰かが言う。
人間の形をした私もまた
ベランダで伸びている。
太陽というものはそうやって
様々なものを伸ばすのだろう。
冬の間に
そのような日が何度かやってくる。
もうだいぶん散ってしまった
イチョウの木のことを
少しだけ考えた。
誰もがほんの少ししか考えない。
最初から片隅というものが
指定席として用意されている。
私は熱いお茶を入れて
掌で包み込むように
湯飲みを持っている。

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わたしはどこにいるのか

この頃、遠く感じるようになった。
どんどん心が体から離れてゆく。
わたしはいったいどこにいるのかというと
大脳の隅の一握りの細胞の中である。
わたしがいなくても
この体は作動し続けるように
できているはずだ。
わたしの体の片隅にわたしは
間借りしている下宿人である。
わたしはわたしを
もてなさなければ
ならないような気がする。
わたしはわたしの体に対して
勝手すぎたのかもしれない。
望まぬ事を押しつけて
思うままになるような
気がしていたのかもしれない。
わたしは電源を落とすと
瞬間的に消えてなくなる
コンピューターの
メモリーのようなものだろう。
もうすぐ雨が
降り出すのだと予報士が
知った風に言っていた。
焼却場の煙は
南にたなびいている。

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浮遊

柿の木の根元のアスファルトに
秋が散らばっていた。
そうか君はもう終わりなのか
と思う私はマフラーを巻いている。
絶対的は精神が物質を作るのではなくて、
物質が集まってくることによって
精神というものが生まれるのだと
思っていますと、宇宙飛行士は言った。
いいですかみなさん、
どこまでも真っ黒で何も無い空間に
ぽっ、と地球が浮いているのです。
何かが支えているわけではなくて
ただふんわりと浮いている
そんなことは前から知っていたけれど
それを見た時、わたしは腑に落ちたのです。
彼はそう言った。
遠い目をしていた。
ここに無いものを彼は見ている。
私は形の無い物を
取り出そうとしていた。

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ふぐ

きみは毒を持っている。
肝の部分にたっぷり持っている。
食べると痺れて死ぬかもしれない。
でも、綺麗にさばいて
取り除いてしまうから。
肝は鍵の掛かった箱に
しまわなければならないらしい。
猫が食べると
命を落とすからだ。
毒のあるものから
毒を取り除いてまで食べようと思ったのは
なぜなのだろう。
毒があるものが旨いと
知っていたのだろうか。
そんなことを考えながら私は
新しい葡萄酒を飲んでいる。
それには太陽の房が詰まっている。
地球が一回転すれば、日が進み。
地球が一周すれば、年が進む。
この惑星に生まれたことで、
この惑星の回転や周回を
体に刻みながら生きている。
宇宙は遠い物だと思っていたが、
自分自身が宇宙そのものだったと
気付くのである。

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レディオ体操

レディオ体操が
ダンスのように見えてきた。
だってあれは最初からダンスじゃない
という人がいるかもしれないけれど
「体操」という言葉が
芸術的な側面を剥ぎ取って
医療的な何かのように
見せていたものだから私は
勘違いしていたのかもしれない。

朝、自転車で通りがかると
その工場の従業員は
いつも同じ時間に建物の前に出て
レディオ体操をしている。
男も女も
若人も年寄りも
二列で向かい合って
レディオ体操第一。
みんな無表情でゾンビのような顔をして
嫌々こなしているように見えるが、
踵が伸びている。
異様に切れるのである。
それは踊りの一団である。
ジャクソンマイケルの
スリラーの踊りをちょっと思い出して
何だか可笑しくなる。

ずっと見ていたいのだが、
そこに停まって眺めるわけにもいかず
私はその工場を通り過ぎる。
明日の朝は私も
レディオ体操を踊ってみようか
などと思いながら。

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秋はいつ終わる

バスは乗り心地が悪かった。
低いギアのまま
ぎくしゃくした走りだった。
バックミラーには
運転手の顔の下半分が映っていた。
顎は細く、唇は薄かった。
うっすらと髭が生えていた。
目が見えない相手を
睨むことができないのは何故だろう。
彼の右足に合わせて私は
前後に揺れなければならなかった。
私は彼に
疎んじられているのだろうか。
このごろ歳のせいか
ひがみっぽくなった。
窓の外を見ると
枯葉が風に舞っていた。
ほうきを持った清掃員風の男が
建物の周りを掃いている。
その頭の上から
枯葉が散っている。
大通りをいくつも横切って
道は北に向かっている。
ずいぶん昔に死んでしまった
同級生のことを思い出した。
ひとつの筋の上を
こうして歩いているはずだけど、
どんなものからも遠かった。

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立冬である。
私は冬を
呼んだ覚えはないけれど、
冬は呼ばれなくとも勝手にやってくる。
そして雨が降っている。
それは出遅れていることの
しるしなのかもしれない。

小さい頃は夜が好きだった。
ほんものの夜だったからである。
都会の夜は偽物の夜だと思っている。
夜は暗く
誰も起きてはいなかった。
風が吹いて
納屋の古いトタン屋根がばたばた音を立てた。
ざわざわと裏山がいっていた。
夜の作法というものが
山間の場所にはあるのだった。

そういう夜を
私は置いてきた。

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霜月

太陽に匂いなどないはずだけれど、
太陽の匂いを知っているような気がする。
文化の日。
空は青かった。
こうして高くなってゆくのは
空なのか私なのか。
湿度計を見ると針は
三十パーセントのところを指している。
どうりで足が乾くわけだ。
ここ数年
ニベアの何とかミルクというボトルを買っているが
最後まで使い切ったためしがない。
つまりそれが
冬の長さというものなのだろう。
今年の在庫は
あと少ししか残っていない。
エジプトの猫は
今日も闘っているだろうか。
三匹の子供を従えて。
勝ち取らなければならないものは何だろう。
私は枕を干した。
何か文化的なことをしたのかと問われれば
何もかも文化だろう、と答えるだろう。

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ディスタンス

膨らんだ月が
空にあることを
どうしたものかと
ベランダから見ていると
雲がそれを隠す。

取り出したものが
おかしなものだったなら
それは取り出し方が
悪いのだと思う。
箱の中では確かな形を持たず、
取り出す時に形は作られる。
上手な取り出し方は
たくさんのものを救う。

いつの間にか風は冷たくなっている。
突然に北風は吹き始めて、
草木を揺らして看板を飛ばす。
私は灯りの下で
足の爪を切っている。
そうして冬は私に来る。

遠ざかってゆくことが
宇宙の旅だと思う。
kokoという曲を繰り返し聴いて
偶然に作られるものではなくて
願いを形にしてゆくことが尊いと知る。

そこには白色のノイズが混ぜられている。
自由に線が引けるように。
混沌としているときは
どのようにしてもよいということだ。
確かゆうべ
スキップについて話した。

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