団体

いくらかの団体で行う花見とか
バーベキューというようなものに行くと、
ぽつんとする。
自分の存在というものについて
考えてしまう。
すなわち同じ空間の中で共有すべき
価値観というものから
私がどのくらい離れているか
ということについてである。
どうしても混ざらないのはきっと
私がそういうことの良さを
見つけられていないというよりも、
私と集いたいと思う人が
この場にいないであろうということに
気付いているからなのだろう。
実際のところ、どんなイベントごとも
そうなのかもしれないけれど
「ふつう」の人々は努力をして
自分の境界を少し溶かしながら
混ざり合おうとするのだろう。
要するに努力が足りないのだが、
そういうことを埋める技を
いまだに私は身につけていないようだ。

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信頼

世の中で起きていることは
どんなことも奇蹟みたいなことだから
いちいち喜んだり悲しんだりしてもいいと思う。
そんなことを言うと
自分もずいぶんと遠くに来てしまったのだなと
つくづく思うのだけれど、
先輩の言うことはほとんど説法ですから
などと若人に言われると
あぁやっぱり自分は言葉で
大切なものを表すということに
向いていないのかもしれないと
思う毎日である。
技術ではなくて、技術に頼ろうとすることが
よくないのだと分析するけれど、
そんなこと、たぶんどうでもよくて
ひねたものの方が格好良く見えると思うように
作られているのだろう。
それは本意ではない。
心情のサンプルなんか差し出して見せなくても
そんなのはきっと分かる。
私は他者をもっと信頼すべきなのかもしれない。

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おちてゆく
花びらのことを見ている。
強い星の引力にも舞って見せるのは
夢のような想い出につながって
そうして記憶の中に静かに着地する。
どんなことも浮遊する。
とどまって見えるときは
引き寄せる力と
離れてゆこうとする力が
ちょうど釣り合っているからで
それは穏やかに見えるけれど
ほんとうは
せめぎ合いのまっただ中で
がんばりすぎている。
川面に映るのは空で
その空の下に私がいて
花びらが舞っている。

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四月

桜が咲いている。
春がやって来たのだろう。
私は遠く眺めている。
ポケット壜には少しウイスキーが入っている。
喧騒から離れて
川沿いの道をひとり歩いている。
いびつになってはいけません。
それだけを気をつけていればいいんです。
そうあの人は言った。
分かったような気がしていたが
何も分かってはいなかった。
私が必要だと思って苦労を絞っていたものは
自分にとっても他者にとっても
いびつなものだったのだ。
考えてみると、いびつなものが素敵だと
思っている節がある。
しかし、それは頭の中で想像しているだけで、
取り出して形にしてみると
少しも素敵なことではなかった。
おかしいな、これは多分自分が組み立てる技術が
不足しているせいに違いない。
そう思って、何度も何度もやり直してみるのだけれど、
何度やっても妙なものしか出来上がらない。
きっとこれは自分に才能が無いせいなのだ
なんて残念なことだろう、そう思っていた。
でも、たぶんそうではない。
自分が素敵だと思っていることの分析が
間違っているのだ。
それは翻訳ソフトに似ている。
日本語をイタリア語に翻訳して、
そのイタリア語訳をふたたび日本語に翻訳してみると
全く違った日本語に再生される場合が多い。
解釈というのは、時々再現して
元通りになるかどうか確認しないと間違う。
私は桜を見て
桜が正しく再生されるように確認する。
ウイスキーをひとくちあおると、
それは熱い塊となって
喉元を私の中に滑り落ちていった。

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調律師

雨の日に調律師はやって来た。
「特に他の楽器と合わせることがなければ
 少し高めに合わせておきますね」
と調律師は言った。
チューニングハンマーとフェルト
それからスティックを差し入れて
調律師が鍵盤を叩くとピアノは
澄んだ音を立てた。
「ピアノは木と革と羊毛でできています。
 だから、一台一台違うのですが、
 これはいい楽器ですね」
調律師はそう言った。
私は何か誇らしいような気持ちになった。
調律が終わったピアノを弾いてみると
音が全く変わっていることに気付いた。
調律する前は冷たく弾いても明るい音で、
わりと脳天気な楽器なのかと思っていたが、
調律した後のピアノは暗く冷たく弾けば
ちゃんと暗く冷たい音がした。
それから響きが増して、音が大きくなった。
共鳴のしかたが変わったのかもしれない。
ペダルを踏む足からも
音が伝わってくるようになった。
また少し狂ったころに伺います
調律師はそう言った。
雨はまだ降り続いていた。
私も何かの
調律師になりたい、と思った。

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ピアノ

ピアノを買った。
それもひとつのあこがれであった。
男たちは二人で
それを横にして運び込んだ。
ドアを外して回転し、
それからそっと起こした。
ピアノは私のそばに
静かに配置されたのである。
何のためにピアノを買ったのですか
という問いがあったとして、
何のために体重計を買ったのですか
というのと同じですよ
と私は答えるだろうと思う。
私の見えない問題を
測るものとして。

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あこがれ

弥生、三月が進むなら
春を待つ人々の気持ちにもきっと
光が増してくるだろう。
日本人は「あこがれ」の強い民族です
そうテレビの四角い枠は言った。
私たちは強い「あこがれ」によって
突き動かされているのであるから
どんなことだって
信じられないような速度で
成し遂げてきたのだと。
「あこがれ」は損なわれただろうか。
いや、それは損なわれるような
ものではないだろう。
私たちの基本的な成分なのだから。
絶望の有様を
微弱な信号によって
噴霧され続けたものだから、
大切なものを静かに休めてしまった
そういうことだろう。
私が表さなければならないと
思って苦労していたことは、
何ひとつ必要が無かったということに
最近気付いた。
必要なことは苦労して
生み出さなければならないと
思い込んでいたのだ。
そうではなかった。
大切なものは「あこがれ」であった。
それは「苦労している」と感じることなく
取り出せるものだったのである。

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夜について

夜はもっと静かで
夜はもっと冷たく
夜はもっと個人的で
夜はもっと秘めていた
そう思ってきた。
酔った深夜の路上で
ふと気付くと私は
夜からはみ出していた。
夜はもう私のために存在しない。
裏切ったのか
裏切られたのか
夜が遠ざかったのか
私が遠ざかったのか
分からないけれど
とにかく明らかに
離れてしまった。
ただひとりの理解者であったはずの
私の夜はどこにもなかった。
ただ人工的な灯りが
どこまでも続く
アスファルトの道の上に
私は立っていた。

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春を待つうた

なにしろ春が来ようというのだから
雨が降ったり、風が吹いたり、
光が降り注いだりするのも当然の
ことだろうと私は思う。
公園には沢山の人が溢れていて
手を繋いで幸せそうに歩いていたりするけど、
池には水が無く、
魚は泳いでおらず、
鴨の姿は見えず、
わずかに溜まった水に空が映っている。
なにしろ春が来ようというのだから
色々なものが変わってゆくのでしょう。
人はうたをうたって
自分がそうであろうと思うことを
解放しているけれど、
人々はうなだれて酒を飲んでいる。
なにしろ春が来ようというのだから
スーパーには新ジャガが並んでいる。
私はそれを買って皮を剥き、
芽をえぐって茹で、
ポテトサラダにしようとするけれど、
冷蔵庫にマヨネーズは無かった。
しかたなく、オリーブオイルと塩で
味をつけ、夜は更けるのである。
なにしろ春が来ようというのだから。

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こころ

できないことを
できるようにしたり、
苦手なことを
なんとか克服しようとしたり、
そんなことを
長い間してきたものだから
できることは何だったか
得意なことは何だったか
分からなくなってしまった。
一般的であることを
誰もが目指すような世の中だから
そういうものなのかもしれないが、
できないことを
できるようにする時間も
苦手なことを
克服するための時間も
もうほとんど無くなって
どっちも無理、
ということになってから初めて
できることをすればいいとか
得意なことをすればいいとか
そういうことに気付く。
いってみればそれは
遠回りをして
家に帰るのと
あまりかわらないのだろう。

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