水無月

「梅雨に入ったとみられる」と
予報士は曖昧な表現で雨の季節を告げた。
暖かさと冷たさの境界線上で
私は窓を薄く開け、それを確かめる。
ゆうべ蛍を川に放ったと聞いたので
歩いてみたけれど、
二〜三匹しか光を見つけられなかった。
同じ催しは去年もあって
去年はもう少し居たのだが今年は
どうしたというのだろうか。
蛍の都合を私は知らない。
私がどのように生きようとも
この世界の進行にブレーキは存在せず
どんどんと移り変わる。
ただ絶望の隙間をすり抜けて行くのか
それとも希望の光だけを見て他を見ないのか
どちらでもないとすれば私は
どのように生きて去ればよいのだろう。

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明日は雨が降ると予報士は言った。
四角い画面の中から発せられる言葉を
まるで神の言葉のように信じたりして
愚かなことかもしれないと時々思う。
爪を切って、ピアノの練習をしている時、
音が湿っているような気がした。
アクションの先に付いているフェルトの
湿り具合のせいだろうか
それとも私の体と世界の間にある空気が
変わってしまったせいだろうか。
いつだって答えを求めてしまうけれど、
答えを知ったからといって
何かが変わるわけではないだろう。
碁盤の上の石のように
世界のどこに石を置くのかということが
自分自身の形を作ることなのに
何かをなぞろうとする。
正解がないことに間違いは存在しない。
一筆書きですべて書き上げなければ
ならないことの苦痛を
黙って下を向いてやり過ごそうとするが、
それさえも道の途中なのだ。
リボンをかけるように前線が
日本をラッピングしている。
空を見上げても空は見えず、
何が空だったのか
忘れようとしていることに気づく。

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悪さ

あなただけが悪いのではない、相手も悪い。
相手だけが悪いのではない、あなたも悪い。
人と人の間に何か問題があるとき、
常にお互いが悪い。
自分だけが悪いのでも相手だけが悪いのでもない。
一方的に相手が悪いという人は
自分自身の問題を見失っている人で、
いつも自分ばかりが悪いと思う人は
自分の問題を敏感に感じすぎる人だ。
もちろん割合は違うかもしれない。
しかし、百パーセントと零パーセントじゃない。
悲しまなくてもよい。
途方に暮れなくてもよい。
人は人の悪さを持ち寄って明日を作ればよい。

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ソアヴェ

ガルガーネガ、という葡萄がある。
やたらと「ガ」が多いためか何処かに引っかかる名前。
日本では橋の名前に濁音は使わないそうだ。
川が濁らないように。
ガルガーネガは澄んだ葡萄酒になる。
私は丘の上からどこまでも広がる葡萄畑を見ていた。
涼やかな風が吹いていた。
坂道のオステリアに入って葡萄酒を飲んだ。
昼でもなく夜でもなく
午後遅い時間で店はがらんとしていて
店主は外で煙草を吸っていた。
雨は上がったばかりで石畳はしっとりと濡れていた。
私はソアヴェでソアヴェを飲んだ。
それだけの午後だった。

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ヴェローナ

ナポレオンボナパルトに徹底的に破壊され、
作り替えられたから
ナポレオンボナパルトのことはよく思っていない。
彼はそう言った。
北緯45度26分。
ほとんど全ての橋はドイツ軍によって破壊され、
第二次大戦の後に架け替えられた。
川底に散らばった石を拾い集めて
スカリジェロ橋を修復した人々が
ドイツのことをどう思っているのか
訊いていない。
長い時間をかけて作り上げたものも
ほんの一時的に出現する狂気の荒くれ者によって
めちゃくちゃにされる。
しかし、どんな荒くれ者も
ほんの一時しか存在できず、あっという間に姿を消す。
町は、いつまでもそこにあり、
アルプス山脈から冷たい風が吹いている。
「遺産」と呼ばれる街を
今の人々が歩いている。

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ダイヤルする

トレヴィーゾのホテルは
ダイヤル式の電話だった。
円形のダイヤルに開いた数字の穴に指を入れて回し
それがバネで戻って番号を通知するもの。
このごろ日本ではあまりダイヤル式の電話を見ない。
調べてみると、回線自体が廃れたのではなかった。
単に「便利」だと思われる方向に
変化したのだろう。
技術が「進化」したと思われる時は
必ず何かが「退化」しているのだと思う。
我々は「ダイヤルする」という手続きを失った。
そしてたぶん「ダイヤルする」という言葉も失った。
私はあなたにダイヤルしないし、
あなたは私にダイヤルしない。
私たちはそれを望んだのだろうか。
時代、というものの要請だろうか。
「ダイヤルする」という行為の中に
何かとてつもなく意味があったような気がしてならない。

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ヴェネツィア

旅客機は私の中の時間よりも速く
空を飛んでしまうものだから、
私の中を刻む時計が狂ってしまって
私は少し時空をはみだしている。
前線は万国旗を渡したように横たわっていて
亜細亜の湿度が私を取り囲んでいる。
旅から帰るといつも
地表から少し浮き上がっていて、
それはあまり心地のよいものではないが、
しかしそのために私は旅をする。
そんな気がする。
運河を船は行き、様々な光の色が
私に飛び込んで来る。
道を走る車を見るのと何が違うのかといえば、
それは運河の水もまた流れている
ということだろう。
何もかもが流れていて、
全てが私に近づきそして遠ざかってゆく。
そういったきらめきを
ずっと昔から眺めていたのだ。
なつかしさというのは、
そういうところから来ているのだと思う。

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トレヴィーゾ

十日間ほどイタリアに行っていた。
トレヴィーゾという町は北部にあって、
観光客の少ない、静かな町。
日本で売っているガイドマップには
ほとんど載っておらず、
情報は見知らぬ誰かのブログのみだった。
メストレから、どこ行きの電車に乗り換えれば
いいのかよく分からず焦った。
ウーディネ行きに乗り換えればよいらしい
と分かったのは、メストレに着く直前だった。
海外でもいつもそうやって
行き当たりばったりなのは
ツアー旅行に参加しないせいだけれど、
そもそも旅行というのは
そういうものではないかと思っている。
「いいなぁそういう旅をしてみたいよ」
と、知り合いは言う。
「すればいいじゃないですか」
「いや、カミさんと一緒だとまるでツアコンみたいに
 うまくスケジュールしとかないと叱られてさ、
 なんだかんだで喧嘩になっちゃって台無しだから、
 もう旅行ってツアーしかありえないんだよな」
「そういうものなんですか」
「そういうものよ」
ふたり、で旅をした時はどうだっただろう
考えてみたけれど、
記憶は、もう思い出せない距離に置かれていた。
トレヴィーゾは周りを濠で囲まれた町。
綺麗な水が静かに流れていて、
緑が美しかった。
私はとちの木の並木道を歩いた。
ポプラの木から大量の綿毛が飛んで、
雪が舞っているようだった。
春と水の光を
私の中に取り込んだ。

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旅について考えている。
私の棲む世界は
思ったほど暖かくなっていない。
修繕工事は続いていて
夜遅く帰ると
毎日何かが変わっている。
溶剤の匂いが低く流れている。
昨日の帰り道
上司の家の前を通りがかったら
ドイツ製の高級自動車が
黒くこちらを見ていた。
この先、思いがけないことが
どれだけあるのだろうか。
テレビをつけたら
嵐の中で男がロックを歌い
それを女が病室から見ている
ところだった。
彼女は救われたのだろうか。
救ったのは歌だろうか。
歌の向こう側にあるものだろうか。
私はテレビを消して
お茶を入れた
旅について考えていたと言う事を
私は思い出した。

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春のゆく

たった一日で何もかもが変わってしまって、
そういう悲しみや苦しみを
吸い取るものも無いとき
川のように流れてゆく時間の音を
じっと淵に座って聞いている。
静かにしていないといけないと思う。
ほんとうは、ずっと前から少しずつ
変化していたのだろう。
どんなものも傾斜がついていて
ゆるやかにおちてゆく。
私はいつもそんなことに気付かない。
だから選択肢は
受け入れるということ以外にない。
今日も少し風がでていた。
池の水面が縞模様を描いていた。
緑がさわさわと揺れていた。
喫茶店は混み合っていて
平日の昼間だということを忘れそうだった。
たぶん四月の物語を
歩いているところだ。

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