物理的なわたしの存在

わたしはいったい
どこにいるのかということを
時々考える。
たぶん脳の片隅のいくつかの細胞が
わたしがわたしだと思っているわたしである。
きっとそれは、わたしという認知を
支えているものであるが、
「からだ」というもの全体を見れば
ほんの少しの組織である。
わたしの「からだ」の全てが
わたしであるというのは
とてもおこがましい事ではないかと
この頃思うようになった。
たとえば何かの拍子に「わたし」が意識不明に
なって、ずっと眠り続けているとすると、
自動的に動作を続けているわたしの
「からだ」というものは、
はたして「わたし」なのだろうか。
それは、わたしだったものなのだ。
わたしは、わたしという会社に
ただ一人だけいる社長のようなものだ。
仕事もしてもらわなければならないし、
福利厚生も考えなくてはならないし、
給料も払わなくてはならない。
何もかもが社長の自由になるわけではない。
労働組合だってあるだろう。
そう考えると、わたしはわたしの体に対して
好き勝手をしていいわけではない
ということに気付くのだ。
何よりも社員の、そして家族の事を
思いやる必要があるだろう。

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ひとりのメソッド

ひとりで暮らしている。
毎朝、味噌汁を作る。
毎朝、洗濯をする。
気楽なんかじゃない。
自分の形が時々分からなくなる。
「ものさし」というものを
わたしは持っていないから。
毎日一枚、古いジャズかポップスのレコードを聴く。
ラジオ体操は最近していない。
テレビはNHKしか観ない。
毎日、少しだけピアノを弾く。
血圧の薬は朝と夜に飲んでいる。
酒は外で飲む。
毎日、本を少しだけ読む。
沢山は読めない。
眠ってしまうから。
窓を開けると
七月の湿った空気が流れ込んでくる。
どこまでも続くわけじゃない。
それが道というものでしょう。

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キウイフルーツ

キウイフルーツの旬は冬だそうだ。
長い間夏だと思っていた。
ずいぶん昔のこと、
ある日母が近所でキウイの苗木を貰ってきて
家の前の畑に植えた。
キウイはぐんぐん伸びて、そして実を付けた。
「あぁなったなった」
母はそう言って実をもぎ、皮を剝いて切り分け
皿に大盛りにすると朝の食卓に出した。
キウイはもいでももいでも、どんどんできた。
恐ろしい程できた。
母は料理のバリエーションというものを持たなかった。
朝だけではなくて、昼も夜も
キウイの皮を剝いて刻んだだけのものが
皿に盛られ、どん、と置かれた。
最初は「お、キウイかめずらしいね」などと
家族は言って食べていたが、そのうちに
「またキウイか」というようになり、
あまり手を付けなくなった。
そればかりか「同じ物を食べさせ続けられるのって
ほぼ拷問だよね」などと言った。
母ばかりがキウイを食べていた。
まるで修行のようだった。
やがてキウイの季節が終わり、キウイは姿を消した。
母はそれ以来、二度と食卓にキウイを出すことはなかった。
けれど私は
なぜかその年のことをよく思い出す。
それは夏の記憶なのである。

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追憶

どんなに嬉しかったことも
どんなに悔しかったことも
どんなに悲しかったことも
僕はきっと忘れるだろう。
そうしてそれらはただ
天井の染みのようになっているだろう。
僕はただ黙って
それをいつまでも眺めているだろう。
それは、どんな人とも
無関係であり続けるだろう。
窓の外で薔薇が咲いているのを
僕は知らないだろう。
やがて来る雷雨の音を
僕は待っているのだろう。

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文月

とても暑い。
それが七月の洗礼というものだろうか。
スーパーにバジルの葉は無かった。
ジェノベーゼを作ろうと
心の中で決めていた私にとって
それは大きな痛手であったが、
レシピというものは
ある一方方向からの見方なのであるから、
逸脱しても一向に構わないのだ
そのようにもうひとりの私が言った。
なるほど、それならば大葉で
代用すればいいか。
志というのはそのようにして
修復されるものでもあった。
松の実、にんにく、チーズ、オリーブオイル、
そのようなものと
フードプロセッサーで掻き混ぜると
何となくそれっぽい物ができた。
私は勝利した
この七月の暑さに
まずは一勝したのだ。
しかしこれはトーナメントではなくて
たぶんリーグ戦なのである。
先のことは分からない
けれど、食べることに気をつければ
生き物である私の
意思は守られるのだと思う。

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神様

もしも、神様と渋谷あたりで
待ち合わせをすることになったとして、
待ち合わせ場所をちゃんと決めなかったから
近くまで来たら電話をかけて
「もしもし、神様、今どこですか」
と私は聞くだろうか。
きっと私は神様に電話番号を訊くのを
忘れているに違いない。
そもそも私は誰にだって電話をかけるのが苦手で
誰から電話がかかってきても
しばらく出るべきかどうか考えたりする。
そして私は神様に会えないだろう。
それから、中古レコード屋に行って
アートブレーキーのレコードを探してみるだろう。
やっぱりジャズはよく分からないな
と言って、何も買わないで店を出るだろう。
そうしたらいつの間にか
太陽は傾いていて
道端でシャボン玉を吹いている子供が
訝しげに私を見るだろう。
そう、私は今日、神様に会えなかった男です
私はそう言うだろうか。

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ペットボトルは机の上で汗をかいている。
それが流れとなって、コースターを濡らす。
これは水である。
この水はどこから来たのかといえば、
私が吸っている私の周りにある
六月の大気に含まれていたのである。
「大気」
ただペットボトルが少し冷たいだけで、
見えないものが見えるようになるのである。
私は水滴を指でなぞってみる。
指先で水の感触を確かめる。
ただ冷たいだけで
ほんの少しの違いで
見えるもの。
見えてくるもの。
そんなことは当たり前で
ずっと昔から知っていたことなのに
この頃、とても不思議に感じるのは
なぜだろう、と思う。

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倍音

鬱陶しい空と湿った風
六月のページが過ぎてゆく時、
広い河の淵に立って
流れてゆくものをただ無言で
受け入れているような気分。
歌でも歌えればいいのだけれど。

アコースティックギターの弦を
新しいものに張り替えた。
前に弦を張り替えたのは
いったいいつだったか
思い出せないくらい過去だった。
確か巻き数が思った通りにいかなくて
何だか気に入らない感じだけど
まぁいいやと思ったのだった。
新しい弦は格安のもので
ひとつの袋に六本まとめて入っていた。
慎重に巻き数を考えて張り、
余った部分をニッパーで切った。
チューニングをして音を出してみると
新しい弦は良い音がした。
色々な高さの音が混ざっている。
新しい弦には倍音が沢山含まれている。
新しいということは
若いということは
それそのものの本来よりも
何か違った沢山のものが含まれているのだ。
いつも新しくいたい、と思う。

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主人公

私は果たして私の物語の主人公なのだろうか
そんなことを時々考える。
作家は言った。
主人公には嫌いな人を据えることが多い。
なぜなら、好きな人が主人公だと
やがて正義を語り始めるからだと。
正義は物語を破壊し胡散臭いものにしてしまう。
そのようなものに人は
近づきたがらないものなのだろう。
私は私みたいなものが好きではなく
そう考えると主人公にしておいても
いいのかもしれない、と思う。

夜が更けて
予報通りに雨が降り始めた。
窓を閉めていると蒸し暑く
窓を開けると肌寒い。
田舎ではきっと田んぼに水が張られ
蛙がうるさく鳴いているだろう。
私が求めているのは音楽ではなくて
音響なのかもしれなかった。
どちらにしても
時間を消費する体験であることは
確かなことだけれど。

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人は歌うように話している
そう読んだ時、やっぱりと思った。
その言葉がいつまでも残っている。
音韻というものをやりとりするからこそ
人は気持ちを伝えられるのだと続いていた。
人工的に合成した音声で
会話をしようとする場合、
棒読みではなくて、相手の音韻に合わせて
相槌を打つと、相手は理解してもらったと
思うのだという。
メロディでやりとりしているのだ。
未知との遭遇のように?
いや、鳥だって歌うではないか。
そんなこと、知っていたはずだけれど。
もっと歌おう。
どんなときも。

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