落ちてくる
というより吸い寄せられている
と思うことで
ずいぶんと世界は変わってくる。
尖った棘。
薔薇の棘のような前線が
内側は丸いということを
私は知っている。
それは雨のラインだ。
午後五時になると
鐘の音が響いてくる
たとえそれが
電子的に合成されたものだとしても
立ち並ぶマンションの谷間にこだまして
薄く広がり、
夕闇を呼んでいることには変わりがない。
空はいつまでも暗くて
人々は傘を差して
災いをよけていた。

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配置

どんな事も遠くなりはじめ
どんな物も美しくなりはじめ
どんな場所も静かになりはじめると
たぶん角を曲がったところだ。
雰囲気や語感といった
体感的なものばかりを
受け取ろうとすると
どんなことも停滞する。
根本的な意図は
もう少し大きく、
そして簡素である。
そしてそれは「シンプルなテーマ」と
読み替えてもよい。
いくら分かっているつもりでも、
心の中に配置されていないものがある。
それらは言葉、
特に外来語で表されるものが多い。
しかし、ひとたびそれが解釈され
そして配置されると、
何事も
分別されるゴミのように
収まるべきところに
収まるものなのだ。
些細なことは、
他者が持っている固有の周波数で、
それは最初から違っているものだから、
無理にチューニングして
全てを聴き取ろうとする必要はなかったのである。
根本的な意図
すなわちテーマを
どう感じるかということを
考えればよかった。

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長月

九月になった。
空は少し、高く広くなった。
いくつかの台風が通り過ぎて
光が変わってきた。
まだ蝉は鳴いている。
ダムの水位はだいぶん上がったようだ。
それは私の部屋に付いている
蛇口に繋がっている。
遠く感じるものでも
本当はどこかで繋がっている。
それぞれが
意識するかしないか
そういうことには全く関係なく
繋がっているからこそ
言葉は電線の中を伝わって
今の時代を生きるあなたに届いている。
知らないことがたくさんある。
分からないことがたくさんある。
全てのことに意味があるわけではない。
しかし人にとって
意味を考えることが
大切な場合があるのだろう。
風の強い日に
遠くから飛来するものがあるように
私も九月の空を
心待ちにしていたのだろう。

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Blue Heaven

暗くて青いものを探していたら
空だった。
暗くて青いものを探していたら
海だった。
ただそれだけのことだと思う。

人々は時々、手品師を必要とする。
何もないところから
ぱっと何かを取り出す。
それは魔法ではない。
手品なのだ。
ばたばたと羽音を残して
鳩は飛び立つ。

傷つけば針が飛ぶ
それがレコードの溝というもの。
残念なことは多いけれど
剥き出しの生身というものは
そういうものなのだ。
諦観というのは静かにやってくる。
それは年老いた猫が知っている。

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諸行無常

地球という星の片隅に
偶然生えた緑色の苔のようなものだと
最近思う。

些細な偶然の連鎖が描く
細く短い糸のような軌跡の上を
辿って歩く私には
夏が見えている。

そして八月の粒は残り少なくなっており、
私はまたひとつ見えない線を通り過ぎる。
この頃、雨上がりに立ち会うことが多い。
夕日に照らされる東の空に
虹が現れた。
それは二重の円を描いていた。
私は消えることが分かっているものを
消えるまで見ていた。

古いレコードが増えたので、
古いレコードを入れる新しい棚を作った。
新しいものを
置いておくだけで古くなる。
当たり前だったことが
不思議に感じられるようになると
すでに次の領域に足を踏み入れている。

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動機

私はもっと、退屈した方がよかった。
「本が無いと退屈で死にそうになる」と作家は言った。
それは絶望的な退屈なのだと言った。
なるほど退屈だから本を読むのか、と私は思った。
それはとても素敵なことだ。
退屈があるかぎり本が読めるということだ。
私には退屈が無い。
私には無限大へのバイパススイッチがあって、
それが押し込まれると
ぼんやりと風景を見ているだけで
長い時間を消費することができる。
退屈というものが消滅する。
あの頃、なぜ読書に夢中になれたのか
考えてみれば、それは「逃避」だった。
生きている現実の世界から
逃避する場所が必要だった。
ある意味で私のモチベーションを維持していたのは
逃避だったのだ。
今現在は逃げる必要があまりない(ように感じている)。
つまり、どうしても本を読まなければならないという
必然性が欠如している。
何かをとことんするには、動機を用意する必要が
あるのだと思う。

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会話

男というものは
エレベーターの中で
人に声をかけないものらしい。
確かにわたしも
黙っている。
昨日の朝、エレベーターで
隣の森田さんの旦那さんと一緒になった。
朝からうるさく蝉が鳴いていた。
「暑いですね」
わたしは森田さんに話しかけてみた。
森田さんは少し微笑んで
「まぁ夏だから、しかたないですね」
と言った。
会話はそれで終わってしまった。
四角い箱は無言で
するすると落ちていった。
男というものは
エレベーターの中で
人に声をかけないものらしい。

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葉月

私に八月が来た。
蝉は鳴き
雲は白く
空の果てに入道雲は盛り上がり
稲妻は心を射貫き
土砂降りの雨音は
様々な過去を
排水口に流し込む。
そのようなものを
「夏だ」と言ってみるけれど
だからといって
踏み込むペダルの重さは
ちっとも軽くはならない。
暑中お見舞い申し上げます。
このごろそんな葉書は
ちっともポストに届かない。
もう
時代じゃない。
遠すぎない
しかし近くもない。
物差しを
奪われた私たちは
「距離」というものも
失ったのだ。

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怪物

見えない人と
見える人がいる。
見える人は四角い硝子の向こう側に
その可愛らしい怪物を見つけて
そしてボールを投げる。
見えない人にとっては
あるいは見ない人にとって
それは不思議な光景である。
そのようにして
一夜にして
限定的に怪物が見えるようになった人たちを
ゾンビのように歩かせる。
今の世界はそのようにして
価値観というものを
束ねてゆく。
良いのか悪いか
そういうことではなくて
そのようにして地表に広がる私たちは
見えない波によって
ひとつに補完されようとしている
それが真理なのであろうと
私は思っている。
音階は昇ってゆく時よりも
下がってゆく時の方を少しゆっくり弾くの
波がそうであるように
引く時の方をゆっくり弾くの
そうすると自然に聴こえるの。
彼女はそう言った。
すべてのことは
自然が手本になるのだと思う。

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休暇

仕事を休むと、夏がわかる。
蝉は鳴いて異性を求めているし、
学生は自転車に乗って通り過ぎ、
日傘を差した婦人がバスを待っている。
私は季節もわからないような場所に
仕事に行っているのだろうか。
宇宙の果てのように遠い場所が
自転車で十五分の距離にあるだろうか。

サントリーの角瓶の中身を
氷を入れたグラスに少しだけ注ぎ、
ソーダ水で割ると
遠い昔の事を想い出しそうな気がするが、
実際は何も想い出さない。
テレビジョンの四角い窓の向こう側で
都知事選の候補が
演説をしているのを観ながら、
少しずつそれを飲む。

まるでバラエティー番組のように
差し障りのないことを
冗談のように彼らは述べるのだ。
社会は複雑化し、
細々とした問題が山積し、
この人達だけで手に負えるはずはないが、
目線が大変近いところに落ちていて、
行く先の事がうまく見えない。
いっそのこと全員当選させて
みんなでやってみてはどうか
などと思ったりする。

夜が更けて、雨が降り始めた。
路面を行く車の音が変わった。
そういえばまだ梅雨の最中だった。
七月が消費されてゆく。

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