言葉の世界

同じ単語が同じものを
指しているかと、そうでもない。
それは方向を示しているだけだ。
人によって、その言葉を発した時に
想っていることが違うから
自分の想いを単語の連なりによって
表したとしても、それが他者に
自分の想っている通りに伝わるかというと
そんなことはなくて
必ず隔たりがある。
そういう当たり前のことが
わからない人はずっと昔から
ある程度いる。
自分の父親は国語の教師であったが、
それが分かっていなかった。
「それってどういう意味?」と
私は父親の言う言葉が指している
ものについて、
検証すべく、しつこく訊いたものだが、
最初は答えるが、繰り返すたびに
口は重くなり、やがて黙った。
そして最後には「うるさい」と言った。
そう、私はうるさいのであった。
繰り返し「どういう意味?」と訊くと
誰もがこの人ウザいという顔になったり、
はてはキレたりする。
賢明な人たちは、確認をしない。
言葉を発した人の意図など関係なく、
自分の思ったように受けとて処理する。
たとえそれが相手の想っているように
伝わっていなくとも気にしないのだ。
勝手な解釈が常である。
そういう人たちを目の当たりにした時、
私は「あぁそういうものか」と思った。
人の距離感というのはそのように
ある程度遠いものなのであるということを
理解したのである。
しかし、それだと人種や価値観が
異なる人とは全く情報の伝達ができないか
誤って伝わるのではないかと思う。
自分は相手の意図を正しく受け取りたいと
思うのだが、言葉による相互伝達は
なかなか難しいものだ。

カテゴリー: 諸行無常 | 言葉の世界 はコメントを受け付けていません

言葉の力

海外から伝わってくる多くのことには
たいてい間違った言葉がついている。
きっと、それらのことをよく理解していない
人がてきとーなイメージでつけた
カタカナ英語みたいな外来語がついている。
幼い頃から信頼できる人がおらず、
外からもたらされる言葉だけを頼りに
生きてきた人々にとって、それは
遥かな間違いの道を辿る入り口になる。
言葉から来るイメージで何かをしようと
試みても全てうまくいかないはずだ。
よく「フォローする」などと言うけれど、
実際どういう意味なのか人によって違う。
「助ける」とか「援助する」と思っている人
「つきあう」とか「見守る」と思っている人
勿論英語のfollowには助けるなんて意味は
ないので、外国人に「フォローしてくれて
ありがとう」などと言っても伝わらない。
外来語の動詞の意味は、どんな場合も
何となくしかわかっていないのだ。
曖昧にすることが得意な日本人だけど
私はこの頃、意味のよくわからない
カタカナ英語をなるべく使わないように
心がけている。
ギターの「カッティング」と日本で言われて
いる奏法は、海外では「ストラミング」と
言うらしい。それは「かきまぜる」という
意味で、誰もカッティングなどと言わない。
中学生の頃にそれが分かっていれば、
私はもっとギターが上手に弾けたのでは
ないだろうかと思う。
「カッティング」という言葉のイメージから
これは切るように弾くのだろうと思っていた。
「切る」のではなく「かきまぜる」のだと
最初から思っていれば、世界はもう少し
違ったものになったはずだ。
必然性のない言葉に惑わされないようにしたい。

カテゴリー: 諸行無常 | 言葉の力 はコメントを受け付けていません

さくらさく

花の命は短いと言うが、
桜の花の命は特に短いのではないかと思う。
花は虫を呼び、命を繋ぐための
大切な催しのはずだけれど
いつだって
大切なことには時間がかけられない。
扉はいつも開いているわけではない。
ごく短い間の出会いが
未来を作ってゆくのだろう。
しかし、花は待っているように見えて
実は待ってはいないのだ。
待っているのは我々である。

カテゴリー: 諸行無常 | さくらさく はコメントを受け付けていません

詐欺師

人を騙さなければ世界は成り立たないようだ。
国家も政治家も、テレビもメディアも、
金のためにあらゆる人を騙す。
どんな技術を持っている人格者でも、
身近な金持ちを騙して金を奪う。
もしかすると、随分昔から
そうだったのかもしれないが、
私はそのことに気づいてはいなかった。
人は嘘をつくことを知らないで
生まれてくるのだという。
しかし、四歳になるころに嘘を覚え、
少しづつ嘘の効果を学習するらしい。
人は嘘を覚え、嘘を使いこなすことによって
この世界を作ってゆく。
確かに、私も、私を騙しているのかもしれず、
嘘のない世界がどこにもないことに
絶望しつつ納得するしかないのである。

カテゴリー: 諸行無常 | 詐欺師 はコメントを受け付けていません

リズムのひみつ

邦楽は一拍目と三拍目に手を叩き、
洋楽は二拍目と四拍目に手を叩く。
重心が頭にあるのか後ろにあるか、
それだけのことだった。
ミッシェルポルナレフの
「シェリーに口づけ」を気に入ったのは
小学一年生の頃だったが、
なぜ、それがそんなにも好きだったのか、
気付くのに五十年かかった。
日本人はどうやっても頭重心に
なってしまうので、ほとんどの
日本の音楽がそうなっており、
洋楽は全く逆になっている。
逆さまであるということに違和感なく
馴染んでしまい、気づかないが、
好きなのは真逆な方であり
それはたぶんリズムのせいだったと
いうことなんだと思う。
これが昨年末のとても大きな気付きだった。

カテゴリー: 諸行無常 | リズムのひみつ はコメントを受け付けていません

アナログ

技術者は常に安定した結果を求める。
故に現在のディジタル技術は
どんな時でも誰がやっても
常に同じ結果が得られるように
設計されていて、実際そうなる。
音楽のプレイリストもそうで、
誰が作って誰が再生しても同じになる。
しかし「同じ」ということが
「すばらしい」と思える期間は限られていて
だんだん「つまらないな」と思うようになる。
そう
そこには「個性」というものが無いからだ。
どこのセブンイレブンにも
同じおにぎりと同じ飲み物が置いてあり、
それは安心で便利ではあるけれど、
わくわくしないし、面白くもないのである。

先日、カセットデッキを修理した。
オーディオカセットデッキというのが
正しい呼び方だろうか。
「カセットテープ」というものを
見たことがある人は少なくとも
三十歳は超えており、
使ったことのある人は四〇歳を
超えているだろう。
自分は二十六年程前に買った
カセットデッキを持っている。
カセットデッキの販売を各社がやめる頃に
買ったので最終版的な機種である。
もう何年か調子が悪くうまく再生できなかった。
テープの走行がおかしくて、再生すると
ぐちゃぐちゃに絡まったりしていた。
途方に暮れて何年も放置していたが、
個人で修理している人をネットで見つけて
直してもらった。
メーカーではないので、うまく直るかどうか
そのあたりはかけである。
テープを送り出すピンチローラーや
キャプスタンモーターやベルトといった
駆動系は機械の領域だし、
モーターの制御や磁気ヘッドからの
信号の調整はアナログの電子技術だろう。
複雑で難しく出来た装置なのである。
今のところ、正常に動作している。
カセットテープに録音して聴くということは
アナログなことである。
色々な要素を調節しなければならない。
テープの特性に合わせた調整、録音レベル、
タイミング、曲間の空白時間など
つまりこれは「レコーディング」なのである。
誰がやっても同じにはならない。
そういうことがアナログオーディオの
愉しみなのである。

カテゴリー: 諸行無常 | アナログ はコメントを受け付けていません

距離感

この頃は以前に比べて車によく乗る。
車を小さくしたことによって
取り回しがよくなった、
ということもあるが本当のところは
人混みが嫌いだからである。
コロナのせいで減便したままなのか
電車はいつも混んでいるような気がする。
人の流れに乗り、人を避けながら
すいすいと歩ける人ならばよいが、
田舎育ちのせいか私は、のろまで
人を避けて歩くだけでくたびれる。
知らない人が至近距離に居るのもそう。
自転車も同様に何かを避けながら
乗らなければならない乗り物だし、
そうなると車が一番楽なのである。
鉄とガラスでできた箱に守られていて、
他人とは隔てられている。
しかし、この頃の問題は
法律の改正によって自転車が
車道を走るようになってしまったことだ。
車は左端を走る自転車を避けながら
走らなくてはならない。
私はなるべく左車線を走らないように
車を運転する。
近くてもすぐに高速道路に乗ってしまうのも
そのせいだ。
そう考えると、そもそも私は
都会に向いてなかったのではないかと
都会で四十年も暮らしてから思うのである。

カテゴリー: 諸行無常 | 距離感 はコメントを受け付けていません

奥の手

スーパーの豆腐売り場ではだいたい
おばさんが手を突っ込んで
奥の方の豆腐を取り出そうとしている。
今日食べるのに
消費期限が長いものを求めて
ストレッチすることは
無駄な労力ではないのか。
奥から手が出て、おばさんの手を握るような
仕組みになっていると
面白いかもしれないと思いながら
それを見ていた。

カテゴリー: 諸行無常 | 奥の手 はコメントを受け付けていません

風の音

風に音なんてなくて、
風が吹くことによって震える何かが
音を出している。
だから、それを聴く人がいる場所によって
風の音は違うのだと思う。
田舎に居た頃の風の音は
森の木々が揺れる音で、
そして井戸端にかかっていた鏡が
カンカンと柱を打つ音だった。
眠りの奥の、深い場所の音だった。
今は、マンションの壁を吹き抜けて
ごうごうとただ鳴る音なので、
今、私の風の音はあまり面白くない。
よい風の音がすることろに
行きたいと思う。

カテゴリー: 諸行無常 | 風の音 はコメントを受け付けていません

口コミ

「口コミ」というのは「口込み」と
書くのだろうと勝手に思い込んでいたが、
「口コミュニケーション」の略だそうだ。
マスコミュケーションと対比した言葉で
1960年代に作られた造語だそうだから
そんなに古い言葉ではなかった。
この頃はその「口コミ」という言葉も
あまり使わなくなった。
恐ろしいことにSNSのせいで
ほぼなんでも「口コミ」になってしまった。
マスコミでさえ、取材元がSNSだったりする。
しかしSNSも企業によって情報操作されて
いることを考えると、純粋な口コミではないが。
人は自分の信じる人が言うことを信じる。
たとえその人が間違っていることを
伝えていたとしてもそれを信じる。
それが今の世界を作っているのだろう。

カテゴリー: 諸行無常 | 口コミ はコメントを受け付けていません