まわりみち

あるとき
とても素晴らしいと思ってきたものが
なんだこれ
こんなものの何がよかったのだろうと
首をかしげるほど
つまらなくなってしまう時が来て
それからやっと方向転換をして
違う道に歩き出すということを
何度か繰り返してきたのだけれど
そんなことで、意味のあるところに
辿り着けるのだろうか
という疑問符が
頭の上にくまなく生えている
というのを想像する。
そもそも、世の中には
他人の事はよく見えるが
自分のことはさっぱり見えない
という人がいて
多分自分もそのひとりなのだ。
何もかも、細かく選んで
決定しながら進んでいるにもかかわらず
自分は何も選ばず、
来るものは拒まず受け入れて
誰かが決定したことに従い
まるでイカダ乗りのように
流れに身を任せて川を下っている
なんて思っている。
逃げている、果てしなく逃げている
逃げ続けている
と思っているが、
幸せというのは、どこかにどっかり腰を
おちつけて待っているものではなくて
お日様のように常に動いているものなのだから
追いかけなければ手に入らない。
従って、逃げているのではなくて
それは、追いかけているのだ。
何もかも、勘違いしていることに気付く時
ずいぶんと遠回りをしたものだと
思うのだろう。

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