霜月の良心

月が終わってしまう頃に
自分の担当している製品を
世の中に出さなければならないので、
何かと忙しくて
珍しく休日も会社に行ってみたりして
仕事をしている風ではあるけれど、
はたしてそれが、自分にとって
嘘がなく適切なことかというと
甚だ疑問なのである。
不真面目なことを
真面目な包み紙でくるんだために
サイズが二倍くらいになって
箱に入らなくなってしまったような
罪悪感というものが薄く漂っている。

縦縞から吹き出す空気は冷たくて
耳がすっぽり入るような
帽子を被って自転車に乗る。
ついにそのような季節が訪れたのだ。
よく分かっている、
分かり切っていることは沢山あって、
ただ、身の回りに散乱しているもののせいで
見えなくなっているのだと思う。
付け加えるよりも、
取り除くことがいかに大切なことか
分かってはいるけれど、
実際には不可抗力なくしては
とても困難なことだろう。
たとえば船着き場で、船を待っていて
しかし、時刻表などどこにも無くて
それでも船を待っているようなものだ。
少しずつ、未来が蝕まれてゆくところを
沈んで行く太陽のように見ている。
それが冬というものかもしれない。

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