夜が明けると雨の音。
梅雨の朝、目に見えない水の粒は
体にまとわりついて呼吸を妨げる。
北側の窓をそっと開けると、
冷たい風が流れ込んでくる。
その良心を抱いて、
また眠りの底に沈んでゆく。
たとえば円錐形の尖った台の上に
立っているとする。
それは見るからに不安定で
ゆらゆらと揺れて、今にも落ちそうだったり
実際に落ちてしまったりする。
しかし、どんなに不安定でも、
落ちて痛手を負っても、
また、その尖ったところに
よじ登って、立とうとする。
それは、とても妙というか、不思議なことで
それが何故なのか、とても知りたいと思う。
わたしは「物語」に逃避してこなかった。
いつも、空だったり、山だったり、
野だったり、植物だったり、
そこにじっと止まっているものだった。
何かが展開して変化してゆくことに対して
怯えていたのかもしれない。
あるいは「おしまい」というものに対する
恐怖から逃れるのが主な目的だったからかもしれない。
しかし、実際には、おしまいを目指して
饒舌に語るのが物語の絶対条件ではないのだから
そんなに気負う必要はなかったのだ。
少し「物語」に逃避してみよう。