ものがたりの降りてくるところ

空気がぬるんでいて、そういう夜を自転車で帰った。
猫は空き地に集合するところのようだった。
あちらからもこちらからも、黒や白やまだらや茶やトラ模様の
猫たちが集まってくるのに出会った。
それはまるで、小学校に登校する児童のように
道いっぱいに広がってじゃれ合いながらやってきて、
自転車の僕を見ると、一瞬はっとしてそれから仲間を
見やってそれとなくやり過ごすのだった。
まぁ皆さんおそろいで何の会議かな。
と、訊いてみたが答えはなかった。

雨は季節の緞帳のようなもので、降りたり上がったりする。
気付いてみるとまた満月が近いのだ。
少し春のことを考えてみてもいいだろう。

会社でトイレに入っていて、突然、五十年後の
ことを考えてしまい、軽いパニック状態になった。
そこには明らかに僕は居ないのだということ。
自分が存在しないということを考え始めると
メビウスの輪のようにぐるぐると表裏に想いが
ループして、限りなく恐怖が増大するのだった。
そういう気持ちは子供の頃とまったく変わっていない。
大人になったせいで、そういうものから一時的に
逃げ出す方法を知ったけれど。

物語なんてなかった。
理想的な結末というものを考えることができず、
だから物語は始まらないし、終わりもなかった。
風景は四角く切り取られて、印画紙に定着するように
そこにとどまって、身動きできなかった。
そのように生きてきて、今さら理想的な結末なんて
考えることが出来るだろうか。
物語は幸福なものが作り出すどこか遠い場所のことか
逃げられぬ苦悩の中のとても殺伐とした、怨念の終着点か
どちらかで、自分はそのどちらでもないと思っていたのだ。
しかし、それは何も考えないで、目の前にある
現実のみをただ切り取ろうという逃避なのかもしれない。
死に近寄らないように、未来のことを考えられれば
いいのだけれど。

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