ふたたびみるもの

風呂に湯を入れるように、いつの間にか、いっぱいに
なるのがビデオレコーダーに内蔵されたハードディスク。
例によってまた容量ぎりぎりになってしまったので整理する。
しかし、1テラバイトもあるのに、いったい何がそんなに
詰まっているのか、そしてそれを全部観ることが可能なのか、
一度観たものを保存しておく必要があるのか。
そう思いながら開腹する。
確かに、あれもこれも観たいと思って、予約して録画した
ものであるから、自分にとって必要と判断したわけだけれど、
しかしそれは河を流れてくる漂流物の中から、つまみ上げてみて、
必要かどうか判断しているようなことで、創造的なことではない。
創造的でないことって、時間の浪費なのかもしれなくて、
でも世の中のほとんどの事って、そうやって流れてくるものを拾う
ことなんだからしかたないなと思って納得させようとする。
そういう日曜日。気付くと陽が傾いて、部屋がオレンジ色の
日差しで満たされている。

残しておきたいものって、はやりどれも詩のように
解釈する余地が残されているものばかりだと思う。

床屋に行った。
床屋のオヤジが「inoさんなんかいいことないですかねぇ」と言った。
「いいことって、たとえば具体的にどういうこと?」
「え、うーん」
「ほら、いいことって、具体的に定義しないとやってこないような気がしない?」
「じ、じゃぁ、宝くじが当たるとか」
「宝くじが当たるっていいこと?」
「いいことじゃないすか」
「じゃぁ、そうとう確率低いね」
「うはは、そりゃ確かに」
「もっと確率の高いいいことないの? うまい肉を食うとか」
「う、うまい肉、食いたいね…そういえば西荻にうまいステーキ屋があってね…」
それから、どこのステーキ屋がうまいかという話を延々としてから
僕は自動洗髪機に頭を突っ込み、いいこと話は終わったのだけれど、
もう少し、いいこと話を続けたかった。

いい小説、いい映画、いい音楽、いい生活、いい世の中、いい人生。
理想というものがはっきりとなければ、いいことって生まれないのだと思う。

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