音のエネルギーを吸って目覚める

寒い日はつづく。
けれど、寒ければ寒いほど、日差しの中に春への希望が
含まれているように感じられるのはなぜだろう。
希望というのは、困難な状況でこそ、
その存在を明確に意識できるのだろう。
求めるものは、意外にシンプルである場合が多いけれど、
シンプルなものを手にするためのプロセスは
想像以上に複雑なので、そういったギャップに怯んでしまう。
なに、単なる道のりにすぎない。

濃度を高めなくちゃと時々思う。
薄いまま終わりたくないのだ。
私がやりたい全てのことは、そうやって濃度を
高めるための活動なのだけれど、決定的に欠落しているものが
あって、しかし何が欠落しているのか分からないという
部品探しの日々です。

相変わらず一日中レコードをひっぱり出して聴いている。
それで、とても重要なことに気付いた。
レコードの音質は、うちのCDプレーヤーが安物であることもあって
決定的に違う。良いか悪いかというより、とにかくエネルギーが違う。
それで、自分が音楽ではなくて、音質に反応している事が分かった。
勿論出てくる音楽には音質が不可欠なのだけれど、欲しているのはその音質が
持つ圧倒的なエネルギーだった。
レコードは自分にとって好ましいエネルギーを持っているのだ。
しかしまぁ、そもそもレコーディングエンジニアになろうとしていたのだから
何を今更っていう話ではあります。
そういう笑っちゃうような話で、当然分かっているつもりでも、
定着していない真理みたいなものって、考えの無さから来るのだろうなと思う。
部品をひとつ手に入れた。

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