自転車に乗って

ずいぶん久しぶりに自転車に乗った。
四月に職場が変わってから、あまり自転車に乗っていなかった。
駅まで、バスで行くようになり、通勤で使わなくなったので、
出番が減ったのだ。自転車置き場に放置したままだったので、
もう、そうとう駄目になっているだろうと思ったけれど、見て
みたらそれほどでもなかった。
フレームを雑巾で拭いて、それから空気を入れた。
空気入れのポンプを押し下げる度に、ぺちゃんこだったタイヤが
空気で満たされてゆく。何かを満たすのって好きだ。
鍵が錆びていて、なんとか無理矢理解錠したが、そうしたら
今度は閉まらなくなった。自転車屋に行って新しい鍵に交換した。
「1200円です」と街の自転車屋にしては若い店主が言い、
僕はそれを払って風の中。あれ、1200円て部品代で工賃は含まれて
いないのではと思ったけれど、きっと今時はそこで工賃を取ると
お客さんは来ないのかな、と思ってみたりした。
晴れて、気持ちの良い日だった。
僕は用事があって、自転車で吉祥寺を二往復した。
空気を入れたばかりだったせいか、ペダルが軽く感じて
どこまでも行けそうだった。
どこまでも行けそうだと思うことと、実際にどこまでも行くのとは
違うということを僕は知っている。
しかし、なぜ僕はどこまでも行かないのだろうと考えてみる。
多分それは、帰ってこなければならないからだと思う。
遠くまで行ったなら、同じ距離を帰ってこなければならないから。
軌道のように、円を描いて遠くに行けば、同じ道を引き返さなくても
いいのにね。そういう方法を考えよう。

帰ってくると草臥れている。
それで、ソファーで伸びていると
いつの間にか永遠がやってきて
部屋が暗くなっている。
休みの日は、日が暮れる時に家に
居ることが多いから
こうして気が付くと
部屋が暗くなっていることが多い。
光が変化する時、自分も変わっている。
僕はベランダに出て、
太陽にさようならと言わなければならない。
太陽には言葉が無いから
さようならと言い返すことはできない。
そのかわりに、空をオレンジ色に染める。
それだけで、十分だと思えることは
きっといいことなんだろうと思う。

手を振って、別れるのが好きだ。
それは、言葉以外の方法で
さようならを表しているから。
体によって、さようならを表現すると
言葉では伝わらない何かが
伝搬されるような気がする。
それは原始的で分析する必要のない何かで
解釈しないことは安らぎであると思う。

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