すきまにつめる

「すきまにつめる」と角田さんは言った。
そんなに忙しいのにいつ本を読むのですか、と僕が訊ねたのだった。
それが、しごく一般的な言葉であろうと、何であろうと
信じる人の言葉というのは、非常に重みを持っており、
また、浸透性があるために、一瞬にして強い電流のように
体を貫いて、言葉の意味を自分なりに解釈できてしまう。
もちろん、それは相手には全く関係無く、まことに勝手な
解釈なのだが、そういうことをきっかけに、違う世界に
足を踏み入れることが出来たりすることだってあると思う。
電車や駅で、ひとりで歩いている彼女に遭遇したことが
何度かあるが、いつでも本を開いて読んでいた。
驚いたことに、歩きながら、まるでヘッドフォンステレオでも
聴いているかのように、本を読んでいるところに出くわしたこともある。
あぁ、すきまにつめる、というのはそういうことか、と僕は思った。
実際、僕は隙間人間なのである。
何をするにも、インターバルが必要で、ひとつのことから次の事に
取りかかるのにもの凄く時間がかかる。しかし、その間には何も無い。
つまり何にもしていないのである。また何も考えていないのである。
幼い頃は、なにぼんやりしてるの、とか、のろまだねぇとか
よく親や教師や、友達に言われたものだった。
しかし、僕にはそれが普通のことで、みんなそうなのだと思って
いたから、何がぼんやりなのか、のろまなのか理解出来なかった。
だからそれを直す、つまり隙間を無くすということが出来ないまま
歳をとった。結果として、単位時間あたりの生産量のまったく低い
ひとになってしまった。
でも、そういうことをきっかけに、少しずつ隙間に本を詰められる
ようになってきた。それはつまり、考えるということを増やせる
ようになってきたということで、ちょっといいかもしれない
と思っている。もちろん、まだまだ隙間だらけだけど。

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