二〇一八

ずいぶんと
流れたのは
川なのか
時間なのか
わたしには分からないけれど、
決して遠くまできたわけではなくて
川に流れる水が
いつも同じ水に見えるように
何も変わっていないように見えて
私は川の淵に立って
流れてゆくものを眺めている。
右足と
左足を
交互に踏み出して
突端までゆくことができるが、
それは無意識に行われる。
意思のみが尊重されるべきで、
どのように実現するかについては
無意識でなければ
ほんとうの明日は
来ないのではないだろうかと
思っている。

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