フィクション

たとえばある日、巨大な隕石が
地球に向かっていることが突然判明する。
そのようなものが地球に衝突したなら
人類は消滅するであろうと科学者がテレビで言う。
あらゆる人々に終末がやってきて
世界は憂に包まれる。
そしてむき出しの暴力や愛の渦が溢れ出す。
そんな設定の映画や小説はいくらでもあって
私たちはそれを娯楽として見たり読んだりしてきた。
実際には起こり得ないと思えることを
想像して作品として築き上げ
楽しんできたのだ。
しかし、このごろ「実際には起こり得ない」と
どんなことも思えなくなってしまって、
以前のように楽しめない。
「これはフィクションです」とテレビドラマの
最後に表示するようになったのは
いつ頃だったか。
「1999年に世界は消滅する」
幼い頃、兄が自慢げにノストラダムスの預言を語った時、
私は恐怖の海に溺れそうになった。
私にとってはまだ「起こり得ない」と思えることが
何もなかった。
幼さというのは、あらゆる可能性を信じている。
六歳年上の兄はすでに、「ありえない」と
思うことに慣れていて、ありえない物入れを持っていた。
私は、大人になってもなお、
「ありえない」と思う力を十分に身につけられなかった。
それは逆に言えば「フィクション」を
楽しく作り出すことができないということでもある。
私にとっての「フィクション」は
世界がとても幸福な人々で溢れていて、
自分にも人にもとても優しく
安らいだ日々を人の永遠に近くおくり続ける
というような話だろうか。

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