四月

桜が咲いている。
春がやって来たのだろう。
私は遠く眺めている。
ポケット壜には少しウイスキーが入っている。
喧騒から離れて
川沿いの道をひとり歩いている。
いびつになってはいけません。
それだけを気をつけていればいいんです。
そうあの人は言った。
分かったような気がしていたが
何も分かってはいなかった。
私が必要だと思って苦労を絞っていたものは
自分にとっても他者にとっても
いびつなものだったのだ。
考えてみると、いびつなものが素敵だと
思っている節がある。
しかし、それは頭の中で想像しているだけで、
取り出して形にしてみると
少しも素敵なことではなかった。
おかしいな、これは多分自分が組み立てる技術が
不足しているせいに違いない。
そう思って、何度も何度もやり直してみるのだけれど、
何度やっても妙なものしか出来上がらない。
きっとこれは自分に才能が無いせいなのだ
なんて残念なことだろう、そう思っていた。
でも、たぶんそうではない。
自分が素敵だと思っていることの分析が
間違っているのだ。
それは翻訳ソフトに似ている。
日本語をイタリア語に翻訳して、
そのイタリア語訳をふたたび日本語に翻訳してみると
全く違った日本語に再生される場合が多い。
解釈というのは、時々再現して
元通りになるかどうか確認しないと間違う。
私は桜を見て
桜が正しく再生されるように確認する。
ウイスキーをひとくちあおると、
それは熱い塊となって
喉元を私の中に滑り落ちていった。

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