具現

街で豆苗を買った。
エンドウ豆の若菜である。
パッケージには
切り取った後の根を水に浸しておくと
もう一度生えてきます
というようなことが書いてあった。
それでバットに入れておいたら
生えた。
緑色の葉がふたたび
同じように伸びてきた。

小さい頃、植物が好きだった。
見るのではなくて育てるのが。
それを思い出した。
多年草ではなくて一年草が好きだった。
種を蒔いて水を与えると
芽が出て
ぐんぐん伸びて花が咲く。
当たり前のことだが、
私はそれを当たり前のことだとは思っていなかった。
だって、小さな種のどこにも
葉や茎や花が収まっているわけではなくて、
それを後から与えているわけでもなく、
ただ水を与えると
どんどん空に向かって増殖する。
何も無いところから、現れる。
私にはそういうふうに見えた。
勿論図鑑などで細胞が増殖するメカニズムを
知ったりはしたが、
いったいそんな知識がなんだろう。
どう見てもそれは、無から現れているとしか
私には思えないのだった。
それが不思議で
繰り返し、繰り返し、種を植えては水を与え
伸びてゆく植物を
驚きと恐怖の入り交じった気持ちで
ぼんやりと眺めていた。
そう、本当は植物が好きなのではなくて、
どこからかそれが現れるということが
何度見ても魔法のように
尋常ではないことに思えて
ただ見つめてしまうのだ。

質量は保存されている
そういう法則があるということは知っている。
地球という星、あるいは宇宙にある素材で
それは出来ていて
そしてまた素材に戻るのだろう。
しかし、なぜ「生」という形で
一時的にこの世界に現れるのだろう。
植物ばかりではなくて、人もまた同じ。
何も無いところから現れて
増殖し
そしてまた消えて無くなる。

わたしはどこまでも不思議で、
飽きること無くそれを見つめてしまう。
もちろん私も、一時的に現れたもののひとつである。

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