単なる電気信号

この頃はネットの中にも桜が咲いており、
私はネットの中で花見をする。
散らない桜はないのであるが、
ネットの中の桜はいつまでも咲いている。
いつまでも色あせないということは
とても素晴らしいことであるが、
ある程度の気味悪さを含んでいる。
技術というのはいつまでも進歩していて
よかったと思う。
画素数はどんどん増えて高密度になり、
昔の画像が粗く見えるからである。
それはひとつの風化に見える。
そういうことがせめてもの救いだと思う。
ローマに行ってコロッセオを見ると
下の部分は頑丈なコンクリートでできているが、
上の部分はレンガが積んである。
後で注ぎ足したものらしい。
紀元前にはコンクリートで頑丈な構造物を
作る技術があったのだが、
後に技術が失われてしまったので、
全て壊さないで千年も後に軟弱なレンガで
増築したのだそうだ。
技術が後退するだなんてそんな
何て恐ろしいことなのだろう。
しかし、もしかするとまたそんな
時代が来るのかもしれない、と少し思う。
広くまたは狭く。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク