距離

十月になると
何かが変わっている。
しかし、最近
ニュースというものにくたびれてしまって
それは
夏の疲れのように
癒やされるときが来ればいいのだけれど。
人々は大きなテレビで
くっきりとした画像で
ニュースを見るようになった。
しかし、それは必ずしもよいことでは
ないのだと私は思う。
何だか分からないけれど
忍び込んでくるものがある。
それは「経験」である。
体に刻まれる「経験」である。
実際に自分の身に起きたことではないのに、
うっすらとした経験として
自分の中に刻まれる。
それは現代のテレビが持っている力である。
現代のテレビはもはや経験を運んでいるのだ。
それは体の中に蓄積されて
いつか溢れ出す。
ニュースとの距離を取りたい。

「かないくん」という絵本を読んだ。
不思議な絵本だった。
そこには死というものがかかれていた。
おわりと、そしてはじまり。
私はまた空を眺めている。
物差しで測ることのできる実際の距離と、
測ることの難しい、こころの距離。
そのふたつが同じ時はよいけれど、
どちらかが遠くなって、
とちらかが近いというように
距離がちぐはぐになったとき
悲しみがやってくる。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク