オートバイに乗りたかった。
中高生の頃。
動力に跨がってその力を操りたかった。
それはひとつの自己拡張である。
そしてどのようにカーブを曲がって、
彼方まで走り抜けてゆくのか。
どのように風とひとつになるのか。
霧のターンパイクを走るのはどんな感じか。
ヘッドライトはどのように反射し、
テールランプの赤は流れてゆくのか。
アクセルをどのように開き、
クラッチをどのように使って、
滑らかにシフトチェンジしてゆくのか。
排気音はどのように耳に届くのか。
そんなことを知るよしもなく、
それは想像することしかできなかった。
しかし、そういう小説があった。
オートバイを美しく乗りこなす女性が出てきたり、
古いオートバイを丁寧にメンテナンスしたり、
明け方、重いオートバイを公道まで押していって
キックを踏み抜き
エンジンを始動したときの音を聴いたりする。
そういう小説があって、
私は丹念にそれを読んで想像しそして満たされた。
モノや機械に対するあこがれが常にあり、
それを満たす小説も常にあった。
しかし、最近の人々はモノや機械にあこがれない。
そしてそういう小説はどこにもない。
小説には生きづらさばかりが書かれている。
もう誰も「あこがれ」を書かなくなった。
憎しみを吹き飛ばすエンターテインメント小説が
いつだって平積みになっている。
傷ついた心を開示して
受け入れられ許されてゆく小説なら沢山ある。
しかし「あこがれ」はどこにもない。
オートバイがなくなってしまった分けではない。
様々な機械が消えてしまった分けではない。
車も時計もカメラも楽器も
同じように存在している。
「あこがれ」だけが消えてなくなっているのだ。
そういう時代なのだと思う。
人がむやみに近くなりすぎているのだ。
ネットワークのせいで。
そして「共有」したいことが増えすぎているのだ。
私の中には、モノ、に対するあこがれがまだ残っている。
それは性癖のようなもので、
死ぬまで変わることはないと思う。
そして現代の、あこがれが書かれた小説が
本屋に平積みになる時代が
また来て欲しいと思う。
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