容量

私たちは回転していると
私は何度も述べてきた。
つまり滑らかな接点を持っている。
徐々に変化しなくてはならない。
蝉はツクツクボウシにかわりつつあり、
夜は虫の声に占有されつつある。
静かにギターを奏でる
星の名前のアーティストを聴いている。
損なわれつつあることは確かだが、
容量が常に一定なのだとすると
何かが注ぎ足されている。
それがすぐに使えるものなのか
まったく使えないものなのかは分からない。
しかし、減ってはいないのだ。
怖れることはない。
満たされているのだから。
何もかもが無くなったような
気持ちになるかも知れないけれど、
そんなことはない。
失われてゆくものに着目しても
構わないけれど、
失われることによって注ぎ足されるものに
注目することによって
もう少し分かることがあるのではないかと思う。
そういうことが興味深いこの頃である。

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