中古レコード屋で
Another Time Another Placeの日本版を見つけた。
日本版のCDなど見つからなかったので、
レコードも出ていなかったのだと思っていた。
ジャケットはオリジナルとは全く違ったもので、
日本版独自なのだそうだ。
このところレコードばかり聴いている。
必要なのは音質ではなくて、
儀式のような事なのではないかと思う。
レコードを袋から出して
クリーナーで埃を払って
プレーヤーに乗せ
回転をスタートさせ
針をのせるという手続き。
音は溝としてそこにあり
針を振動させ、音が掘り出される。
たいせつなものは目に見えないと言うけれど、
本当にそうだろうか。
音のかたちというのは
こうして見える物なのではなかったか。
レコードがCDになり、
そして最近はコンピューターや
ミュージックプレーヤーのメモリ上に
電気的に存在するデータになり、
段々と見えなくなってゆく
想いや意識のように。
見えないものほどやっかいなものはない。
ということを私たちは知りながら
そうやって大切なものを見えなくしてゆく。
本も、写真も、ゲームも同じように
電気的な配列に置き換えられ形を失う。
形を持たないものとの関係性。
何だかアニミズム的なことのように
わたしは感じる。