落とし物の拾い方

手の届かないところにあるものを拾うには
それを手で拾うことは無理なのですから、
何か棒のようなものを用意しなければなりません。
しかもただの棒では拾えませんから、
先にフックのようなものを付けて
引っかけられるようにしなければなりません。
そのように目で見えることは
わりと簡単に工夫することを思いつくのですが、
そうでないことについては
本当は当たり前のことさえ気付かず、
相変わらず手で拾おうとするものですから、
転げ落ちたりするわけです。
気付かないということは恥ずかしいことですが、
うすうす気付いていても気付かないふりを
なぜかしてしまうものです。
自分で自分を騙そうとしているのかもしれません。
気付きたくないことなんてどっさりあるのです。
もしかしたら、自分はそうではないと
何かひとつの希望のように思いたい
ということかもしれません。
やっぱりそうか、などともう限界まで来た時に
やっと気付いたふりをするなんて
往生際が悪いというか何というか
滑稽なことです。
ゆうべぼんやりとテレビジョンを見ていたら、
ある作家が焼き鳥屋で飲みながら、
「二十五年間変えられなかった自分の性格が
 もう変わるものではないのだから、
 それはすっかり諦めて、取り繕うのもやめて、
 そういう駄目な自分が嫌な人はもう仕方ない
 去る者は去れ、って感じです」
とだいたいそんな事を言っているのを聞いて、
妙に腑に落ちました。
ただ、そういうことだって、
嘘つき機械であるテレビジョンから出てきているので、
私が騙されているだけかもしれませんけれども。

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