生きる、ということが希望だとすれば、
死ぬ、ということは絶望だろうか。
絶望的な生というものはあるのかもしれないが、
希望の死というものは無いような気がする。
病によって失われる梅の木の話しを聞いた。
彼らは花を咲かせ匂いを放っているが、
大変近い未来に全て切り倒される。
人の手によって。
そうやって失われてゆくのである。
それを知るということが、
そもそも絶望であって、梅の木の絶望は
私たちの絶望として目や耳から流し込まれる。
そのような2014年の絶望感覚で
様々な事を書き直してみると、
あぶり出しのように今までにはなかった
色や形というものが浮き出してくる。
よく自分は歳を取ったから
新しい物を追いかけられなくなって
古い歌ばかり聴いて、
同じことばかりしていると言う人がいる。
しかし、成長することと老いることは
どちらも同じことなのである。
変化するという点において。
若人は新しい物を追いかけているのではない。
自分に合った物を探しているのである。
年寄りは同じことばかりしているのではない。
自分に合ったものを見つけて
自分に合ったことをしているのである。
歳を取ってなお、新しいものを追いかけているように
見える人は、見つかっていない人なのだ。
そして、そんなことには関係なく
地球と太陽の角度は変化し、
春という物は明らかになってゆく。
観念的になってはいけないのかもしれないが、
それは考える過程、というものである。
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