弥生三月がゆく。
花はいきなり咲くわけではない。
準備というものをしている。
美しい花びらを固く巻いている。
突然何かが目の前に現れるような気がするのは
きっとそういう準備の過程というのを
見ないからだろう。
みんな知っている。
見なくてもよいのだ。
それが楽しみというものだから。
知らなくともよいのだ。
それがサプライズの喜びならば。
しかし魅せる側ならば
準備しなくてはないらない。
どのようなことにしたって。
ある日、
とてつもなく面倒なことに出くわす。
行く手に黒い物が
はびこっていて
とても耐えられそうにない。
真っ直ぐ進む必要などないのだ。
そのことに気付かない。
教科書には真っ直ぐ進むと書いてあるから。
人には人の
物語というものがあってよい。
公明正大である必要はないのだ。
古い道徳に縛られなくともよい。
少し前、
とても優しい夢というものを見て、
いまだにそれが忘れられない。
現実の世界にはない。
棚にも引き出しの中にも入っていない。
探そうとしないこと。
どこにも無いことが分かるから。
探さなければそれは確かにあるのだから。