きゃっちぼーる

私はキャッチボールが嫌いな子供だった。
父親という生き物は
子供とキャッチボールをしたい
あるいはしなければならない
と思うものなのだろうか。
グラブがふたつ用意されて
それをはめて庭に出ろと時々彼は言った。
おもしろいとか
たのしいとか
そんなことはまったく思わなかった。
ただ義務的にボールを受け取って
そして投げていただけだった。
そのうちに彼は私とキャッチボールをしても
なにも面白くないということに
気付いたのだろうか
さっぱりキャッチボールをすることはなくなった。
私はほっとした。
キャッチボールというものは、
お互いに受け取るつもりがあること
そして人に向かって投げるつもりがあること
というのが前提なのだ。
その頃の私には
人に向かって何かを投げることもしたくなかったし、
何も受け止める余裕などなかった。
そういうことを不健全であると言う。
あの頃に比べれば私は
少しは健全になっただろうか。
そんな気もするし、
まったく変わらないような気もする。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク