フィレンツェに来ている。
河のそばに来ると
なんだか安心するのは
たぶんテンポが一定だからだろう。
tempo、イタリア語。
サンタ・トリニタ橋の上で
バイオリンを弾いている人がいたよ。
アルノ川を見ながら
私はそれを聴いていた。
楽しそうですね、とか
楽しんでくださいね、とか
時々言われるのだけれど、
「楽しい」というのはどういう状態のことを言うのか
私にはどうもよく分からなくて
少し困る。
私は楽しんでいるのだろうか。
みんなの言う「楽しい」とは
いったいどういうことなのだろう。
楽しむということが
非日常から来ることだとすると、
私にとっての非日常とは何だろうかと
イタリアに来てから考えてみた。
どうも私は、出会ったものを
まず日常化してしまおうとするようで、
非日常というものを感じない。
初めて見たものでも、
ずっと昔から知っていたと思おうとする。
そうやって、特別な事情について
対応してきたのだろう。
何を見ても驚かないように。
それから、するすると紐を解くように、
少しずつ日常の中の愛しさというものを
取り出して、あたたかさを確かめる。
私の中に「楽しみ」という単語は無いが、
それを「楽しみ」と訳してもかまわないかもしれない
意訳ではあるけれど。
定義というものが、時々必要になる。
そういうことは果てしなく面倒ではあるが、
考えることで自分の形を
はっきりさせることが出来るのではないか
とも思う。