彼岸とは悟りの境地らしい。
つまりそれは、あちら側のこと。
しかし、こちら側とあちら側というものは
ふつう、隣り合って存在するものであるから、
実はそう遠くないところにあるのだろう。
太平洋に居座っていた高い気圧の
まるい円がどこかに消えて
前線の旗が降りている。
季節というのは配置で表される。
いつまでも続いてもらっては困る
と思っていた夏は、
ほんの少し配置が変化しただけで葬られる。
北の窓を開けると
冷たい秋が流れ込んできて
カーテンを膨らませている。
隣の部屋のベランダから
仕切りをくぐって、ポトスの緑が顔を出している。
そういえば、観葉植物というものは
花を観るものではなくて、葉を観るものだ。
ずっと咲いている花などないのだから、
花を咲かせることを目的にするのではなくて
葉を育て、葉を観るということは
日々の行いとしてとても正しいことに思える。
しかし、それにしても
最近言葉がいびつだなと思う。
そういう時って、知らないうちに
何らかの効果を企んでいる時だったりする。
企みはよくない、人に働きかけようとするのは
とてもいやらしいことのように感じる。
もう少し、冷たいところに立って
暗い闇を見なければならない。
こんばんは。蜜白玉です。
ツイッターにお送りしようかとも思ったのですが、長くなりそうだったので、こちらに失礼します。
今日は仕事が休みで時間があったので、過去のお話もゆっくり読ませていただきました。
部屋が暗くなったのにも気づかず、すっかり夢中になってしまいました。
真鶴、マンデリン、晩秋、・・・ほかにもいくつか共通項を見つけては驚いています。
ちなみに私も天気予報は朝のわたなべさん、ゆみきさん、夕方のかとうさんも見ますが、
いちばんは夜のひらいさんを信用しています。
またFでいろいろとお話できればと思います。
>蜜白玉さん
読んでいただいたんですね。
ありがとうございます。
日々の無常をつらつらと書いているだけで、
面白いかどうかわからないのですが、結構続いています。
もともとはmixiに書いていたのですが、5年ほど書いたら
無料で使える容量がいっぱいに(100MB)なってしまい、
自分でblogを起こして引っ越しました。
今後ともよろしくお願いします。またFで。