あーてぃふぃしゃる

スーパーの入り口のあたりは
旬の果物が並べられているのだが、
今日は葡萄が並んでいた。
少し早いような気がするけれど、
いつもの年のように、びっくりするような
値段ではなくて、わりと手頃な
値段だったので、ひと房、買って帰った。
濃紺の丸い実。

葡萄の実は、美しい配置で
房に付いており、そしてそれは
とても魅力的な丸み持っている。
それをずっと眺めていて、
何だか分からないけど、
とても根本的なことに
触れたような気がした。

それは何だろうと考えてみると
果物は「まるい」ということだった。
四角い果物はあまり無い
というか思い出せない。
バナナは長いけれど、断面は丸だし、
何かの実、というのはほぼ丸い。
しかし、よく考えてみると
自然にできたものはみんな丸いのだ。
私たちだって、何もかもが丸い。
木も草も、花も、星も
何もかもが丸いではないか。

それなのに人は、四角い車に乗り、
四角い家を建てて住み、四角いテーブルの上で
四角い本を読み、四角い画面の中を覗き込む。
自然というのは、何もかもが丸い形状を求めるのに、
自然から出来た我々は四角を求めている。
妙なことだ。
四角いのは人が作ったものばかりなのだ。

四角というのは隙間というものを少なくできる。
隙間無く物を配置することができる。
それが効率的だと人々は思っている。
しかし、葡萄は丸い。
房に丸い実がぎっしりとぶら下がっている。
植物はなぜ実を四角くデザインしないのか。
もしも四角の方が本当に効率的なのであれば、
果物は何もかも四角くなっても
よいはずではないか。

きっと、丸でなければならない意味があるのだ。
埋められない隙間が必要なこととか
四角では駄目なことが何か。
偶然ではなくて必然的な何か。

そんなことを考えながら私は
葡萄ばかりを見つめている。

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