梅雨、というものが終わったと言う。
雨の季節が過ぎ去ったのだ。
確かに天気図から、誕生会の飾り付けのような
前線の帯が取り除かれている。
それから世界を焼き尽くす陽射し。
エアコンはまるで生命維持装置のように働いて、
暑いですね、というのが挨拶代わりになる。
「本格的な夏がやって来ました」
などとアナウンサーは言う。
「本格的」なのは夏だけなのだろう。
梅雨が明けた日というのが明確に決まる
ということにおいて。
ところが、いつだって何事も折れ曲がる。
そして雨は降るのだ。
一転して肌寒い日。
北側の窓を開けて、それを迎え入れると
体の中に睡魔として取り込まれる。
いつまでだって眠っていられる。
そして夢を見るのだ。
心地よく眠ることによって、
幸福な夢に少し近づくことができる。
幸せとは、穏やかな日々のことなのだろう。
しかし、穏やかな日々は何も無い日々と
それほど変わることがなく、
するすると、するすると通り過ぎる。
玉手箱から出た煙のようなもので、
翁に変身していることに気づくのだ。
油断していると風邪をひく。
喉が痛み、咳が出て、体が疲弊する。
そして、咳だけが長く続く。
何かを、排出しようとしているのか、
それとも、何も無いのに
何かそこにあると思って、排出しようと試みるのか
咳に悩まされる日々が続いたので、医者に行った。
「今日はお待たせすることはありませんよ」
電話の向こうで受付けの女性は言った。
しかし、診て貰ったのは予約の時間から1時間後、
会計したのはそれから20分後、
さらに薬を貰ったのは10分後、
病院を出るまでに1時間と30分。
この程度では「お待たせ」するうちには入らないのだろうか。
待つということの本質は曖昧模糊としている。
「吸引する薬を14日分出しておきますねー」
と、若い女医はにこやかに言い、背後に座っていた
白衣を着た若い学生風の男は、居眠りをしていた。
薬局で受け取った薬は30日分だった。
信じる、ということから距離を取るようになるのは
歳を取ったと言うことかもしれないが、
真実というのは、誰にとっても同じものではなくて
とてもプライベートなものだということが、
分かったからだと思う。