リコリス

リコリス、というのは彼岸花のことだ。
帰り道、暗がりに赤い花を見て立ち止まる。そうか、もう十月になろうとしているのか。
リコリスは棒状の蕾をつけたものと、開き始めたものが混じって、暗がりで息をひそめている。
小さい頃、墓場に沢山の赤い彼岸花が咲いていた。あれは、血を吸ってるから赤いんだぞ
と、同級生の誰かが言い、その一本を切り取って、女の子に押しつけて、脅かしていた。
いまどき、死体は全部火葬にされて、骨壺に詰められ墓に納められるのに、いったい
どこから血を吸うというのか、そういう子供っぽさに僕は辟易していたが、そういう行為
自体に批判的な意思表示をするのも面倒で、ただへらへらと笑ってみたりしていた。
そういうのって、もしかしたら偽善というのではないか、などと考えてもみたが、
なんだか言葉の意味がよく分からなかったし、まぁ幼い主観だったのだろうと思う。
大人にしても子供にしても、誰かが本当の事を言っているとは思えないのは、その頃からだ。
というか「本当のこと」なんて、何処にも無いということは小さい頃から知っていた。
大人に同じ質問を繰り返しすると、人によってさっぱり答えが違うし、質問する度に
微妙に答えが違ってくる、さらに質問を続けると、同じ事を何回言ってるんだとか、
うるさいとか、屁理屈を言うなと怒鳴られたりした。みんな真面目な馬鹿だとその時思った。
姪がまだ小さい時、同じように質問攻めによくあった。血縁というのは恐ろしい。
しかし、そんな手の内は知っているから、「しらね」とか「金くれ金、解答料」とか答えて
いた。姪は「大人なのに」とか「馬鹿じゃないの」とか言って不満そうだったが、
げらげら笑っていた。まぁ外から得られる答えなんて、どのみち参考程度にしかならない
ということを早く知っておいた方がいいのだ。
納豆ダイエットの時もそうだったけど、テレビや雑誌や新聞が言っていることを真に受ける
人が多いことに驚いてしまう。みんな売るために作られた言葉であり映像なのに。
「信じる」ためには、少し離れていないと、だめなのだと思う。

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