
病に臥せっていると、
時間が経つのが遅い。
眠って、そして苦しくて目覚めると
まだ一時間しか経っていない。
時間と心拍数が反比例しているみたいに。
きっと、時間が遅くなったというより
自分が速く進んでいるのだ。
単位時間あたりに、たくさんのことを行うと
時間はゆっくり進むように感じられるのだろう。
テンポを上げて曲を演奏すると
早く終わってしまうのと同じ。
ずっと昔、聞いたことがある。
一生のうちに心臓が鼓動する回数は決まっていて
その回数に辿り着いた時に死ぬのだと。
あるいは、一生のうちに食べられるものの量は
決まっていて、その量に達すると死ぬのだと。
たぶん嘘だろう。
世界は嘘で溢れているから。
でも、そういう「限界説」というのは
何だか妙に納得してしまうところがある。
全てのことに永遠など無くて
それ相応の「ものさし」というものがあるから。
300回充電可能な電池のように。
そう考えると、この病で
僕の寿命は少し短くなっただろうか。
病の度に僕は、死について考える。
死んでいった家族や、知り合い達のことを考える。
碇のように、人をこの世に繋ぎ止めておくものは何だろう。
自分にそのようなものがあるだろうか。
どうしても必要だと思えないものは
捨ててしまっても構わないものだと
片付けの本には必ず書いてある。
きっと、それも嘘だ。
真理なんてどこにもありはしない。
そうやって、いくつもの波を乗り越えて
凪が来るのを
ただひたすら待っている。
それだけが事実だろう。