言葉の力

海外から伝わってくる多くのことには
たいてい間違った言葉がついている。
きっと、それらのことをよく理解していない
人がてきとーなイメージでつけた
カタカナ英語みたいな外来語がついている。
幼い頃から信頼できる人がおらず、
外からもたらされる言葉だけを頼りに
生きてきた人々にとって、それは
遥かな間違いの道を辿る入り口になる。
言葉から来るイメージで何かをしようと
試みても全てうまくいかないはずだ。
よく「フォローする」などと言うけれど、
実際どういう意味なのか人によって違う。
「助ける」とか「援助する」と思っている人
「つきあう」とか「見守る」と思っている人
勿論英語のfollowには助けるなんて意味は
ないので、外国人に「フォローしてくれて
ありがとう」などと言っても伝わらない。
外来語の動詞の意味は、どんな場合も
何となくしかわかっていないのだ。
曖昧にすることが得意な日本人だけど
私はこの頃、意味のよくわからない
カタカナ英語をなるべく使わないように
心がけている。
ギターの「カッティング」と日本で言われて
いる奏法は、海外では「ストラミング」と
言うらしい。それは「かきまぜる」という
意味で、誰もカッティングなどと言わない。
中学生の頃にそれが分かっていれば、
私はもっとギターが上手に弾けたのでは
ないだろうかと思う。
「カッティング」という言葉のイメージから
これは切るように弾くのだろうと思っていた。
「切る」のではなく「かきまぜる」のだと
最初から思っていれば、世界はもう少し
違ったものになったはずだ。
必然性のない言葉に惑わされないようにしたい。

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