言葉

言葉がぶくぶくと湧いて出てくるような
そんな経験をしたことはなくて
捻り出す感じでものを書いているが、
なぜそうなのかについて
あまりよく考えたことがなくて、
そうなんだから、そうなのだろうと
単純に捉えている。
しかしそういうところが至る所にある、
そういうことに、ふと気づいてしまった。
たぶんそれは自意識によるものである。
つまり他者に自分がどう見られているか、
あるいはどう見られたいかということである。
自分は見窄らしい人間であると思っていて
故にそういうことからは遠いと思っていたが、
それこそが思い違いなのであった。
見栄えのよい人というのはよく
鏡を見るものだろう。
だから、自分の姿というものをよく知っているが、
見栄えの悪い者あるいはそう思い込んで
いる者は自分の姿を知らず、
故に現状の自分の最適な解というものを
見つけることができず、過大に見栄えを
制御しようと考えてしまうところにおいて
無理があり、その結果冒頭に記したような
捻り出すような無理に至るのである。
自分の姿をよく見るということは
自分の姿なりの最善を見つけるという意味で
とても大切なのだと思う。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク