静寂

ときどき静寂について考える。
田舎に帰って実家で眠ったのは
もう思い出せないほど昔のことになっている。
この頃は実家に帰っても
泊まることはなく、近くのホテルに
泊まっているからだ。
歳をとって両親が死んでしまうと
実家はもう実家ではなく兄弟の家である。
それはともかく、田舎で眠ると
どこまでも深いところに落ちてゆくような
感覚に包まれる。
たぶんそれは人工的な「音」が無いせいだ。
東京はいくら静かだと思っても
通奏低音のように人工の音で満たされている。
もちろんそれは耳に聴こえない
帯域の音も含まれている。
そしてその人工の音がタクトを振って
私の生命のリズムを指揮している。
風が轟々と吹く日や、
雨が沢山降って窓を叩くような日の方が
心が安らかで深く眠れる。
たぶん人口的な音がかき消されている。
指揮者が変わるのである。
そういう意味で田舎の指揮者で育った人は
都会で暮らさない方が
心が穏やかかもしれない。
そんな気がするのだ。

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