短い動画

猫がそうであるように、人間も
動くものに反応するように設計されている。
それに興味があるか無いかに関係なく
自動的に動くものに反応する。
そういう特性を利用して
この頃は短い動画を共有する
インターネットのサービスが沢山ある。
あれは「見る」のではなく
「見てしまう」ようにできている。
静止画であれば見ない
あるいは飛ばすようなものも見てしまう。
選択の余地というものが消えるのである。
故に非常に危険である。
テレビのコマーシャルも同様だが、
これは宣伝であるということが
最初からわかる枠になっているので、
人々はその間にトイレに行ったり
お茶を入れたりする。
ショートムービーは玉石混淆で
自分にとって意味のあるものが少ない。
選択できない時点でずるいのである。
私はこの頃、ショートムービーが出てくると
無条件に見飛ばすようにしている。
その方が精神衛生上よいような気がする。
どんなことも「選択」することで
自分というものは作られてゆくのだから
選択できないようなものは
取り除いてゆかなければ、
自分の形が曖昧になってゆくような気がする。

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