花鳥風月

田舎にいた頃は「花見」と呼ぶ宴会を
する習慣は無かったような気がする。
まだ子供で酒を飲まなかったからかも
しれないけれど、そもそも桜の木が
そんなにたくさん無かった。
せいぜい学校の校庭にあるくらいだった。
しかし今、田舎に帰るといたるところに
桜の木が植えられている。
「町興し」というものが流行した頃に
植えられたのだと思う。
川沿いの堤防に桜並木ができている。
山の中の樹齢七百年以上の桜が有名になって
山道が渋滞するのだという。
話題というのは人を呼ぶ。
人々はそれを見に行って、思い出を作る。
私は、そう聞くと足が向かなくなる。
それが何故なのか自分でもよくわからない。
たぶん、たくさんの人を見たくないのだろう。
花鳥風月というものは
ひとりで見るものだと思っている。
この間、どこかで偉い人が、
この頃の幸福感は対人関係に依存していて、
人間以外から幸福感を得られなくなっている
と言っていた。
要するに現代人には
花鳥風月が不足しているのだと。
人間ばかりに向き合わず、花や動物や、
風景や物や月を、ひっそりとひとりで見て
幸福感を充電できたらと思う。

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