出汁

「出汁は何で取ってる?」
 ずっと前、飲み屋で知り合いに尋ねられた。
「ほんだし」
 そう私は迷わず答えたのだが、
 その時の彼女の失望した顔が忘れられない。
「ずいぶん料理してるって言ってたけど、
 ほんだしか」
 と、その時彼女が言ったのだったか、
 私が勝手にそう言われたと
 思い込んだのかは分からないが、
 そう私の記憶に刻まれたのだった。
 つい先日、その飲み屋で彼女に
 何年かぶりに会った。
 その飲み屋といっても、
 あの時から場所が移転して
 さらに何年も経っているから、
 あれはいったいいつの事だったのか。
 それで私はその彼女に
「いま出汁は昆布と煮干しで取ってる」
 と言ってみた。
「なに、突然」
 彼女はコートをハンガーにかけながら
 怪訝な顔で私を見た。
「いや、ほらずっと前、
 出汁は何で取ってるって話したよね」
「あぁ、そういえば。って、それいつの話よ」
 いま私は時空を超えてきたのだった。
「あの頃は料理教室に通ってて、ちょうど
 出汁の取り方を教わってる時だったのよ」
 そう彼女は言った。
 私が昆布と煮干しで出汁を取っている
 ということには特に興味はなさそうだった。
 しかし私としては、
 昔年の心の棘のようなものが抜けた気がして
 この日のほんの短い時間、
 立ち飲みの店に寄れてよかった。
 そう思った。

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出汁 への2件のフィードバック

  1. みなみ のコメント:

    ご返信有難うございました。
    時間はかなり経っているはずなのに、自分だけ時が止まっているような気がしていて周りに取り残されている気分になります。
    まさしく「時空を超えて」存在している感じです。
    しかし鏡を見ては自分の姿にハッとすることもあり、、、(笑)
    街中の移り変わりに哀愁を感じる今日この頃です。

  2. ino のコメント:

    たくさんの「いま」を繰り返しているうちに、
    いつのまにか遠くの「いま」にたどりつくけれど、
    そこはやはり「いま」で
    それがすごく不思議な感じがします。
    最近、30年ぶりくらいに吉行淳之介の「驟雨」という小説を読んで
    その哀愁という言葉が馴染むなと思いました。

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