五月になれば

五月が静かにやってきて
空と雲の関係が変わってくる。
風は南側のカーテンを揺らす。
もしもブラインドであったならば
風との関係性はもう少し金属的だったはずだ。
レースのカーテンは滑らかに波打って
何かを言いたげに見えるが、
私には聞き取るすべがない。
五月になれば街路樹も公園も
緑色に覆われる。
それは太陽を受け取るための
ミットのようなものだろう。
噴水の音がして
駆け出したくなるのが
五月だったかと思う。
自由とは様々なものが
様々な方向を向いていることを言う。
同じ方向を向いている時、
恣意的でなければ、それも自由の結果
と言ってもいいかもしれないが、
ひとはそんなに合うものではないはずだと
私の短いような長いような経験から思う。
誰かが遠くでホルンを吹いている。
それは波となって
五月を駆け、私に届く。
私はただ耳を澄ましてそれを聴いている。
五月になれば
どんなものも形を変えて
どこか遠くの空を飛んでいる。

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