寿命

十年が過ぎると
たいがいのものは壊れる。
機械は動かなくなる。
そういうふうになっている。
たぶんそれは、作る側が
十年ももてばいいだろうと
思って作っているからだろう。
もちろんそれを構成する部品の
供給期間を設ける上で
その程度が妥当だということに
なっているのだろう。
先日は給湯装置が壊れた。
風呂に湯をためることができなくなった。
蛇口を開けると
湯が出るのは、その向こう側に
給湯装置があるからだと
知ってはいたけれど、
そういうことを日頃は
あまり感じないで生きている。
壊れなければ
その存在が濃くならない。
当たり前のように問題なくあることは
関係の糸を見えにくくする。
人は呑気なのだ。
生きることは取り返しがつかないことの
繰り返しなのだろう。
ライン引きで引かれる白い線の上を
綱渡りのように歩いてゆく。

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