測定

いつまでもやってくる台風のせいで
夏を引きずったまま空を眺めている。
前線はいつまでもそこに横たわっていて
私が望む高い空は
なかなか見ることができない。
空気に含まれた南のこころざしが
南側の窓から流れ込んでくる。

このごろ
「きもちわるい」という言葉を
人や物に対して多用する人がいて、
それを私は好ましく思っていないようだ。
伝わりそうで伝わらない言葉。
それは価値観というものに深く根を下ろしていて
年齢や性別や趣味嗜好といった、
選択によって異なる複雑な細い道の先にある言葉で
とても生理的で肉感的な表現だと思う。
辞書には「からだのおかれた状態に応じて起こる、
快・不快などの感覚」と書かれている。
自分でも時々、使ってみたりするけれど、
とても個人的な感覚を一般化する試みとしては
中途半端に投げ出した気がして違和感が残る。
「きもちわるい」は全てを否定する。
それは完全なる否定で何も救わず、
何もかも切り捨てる。
私はそういった他人の「嫌悪」というものから
遠ざかりたいと思っているのだと思う。
そして、嫌悪をあからさまに表明することを
あまり好ましく思ってはいないようだ。
それはとても子供っぽいことだと思う。

必要なのは睡眠と音楽だと思う。
それはずっと昔から変わってはいない。
私は誰にも何も求めてはいない。
ただ、もう少し正確な距離を
測りたいだけなのだと思う。

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