十月の東京に神はいない。
空はまだ曇っていて
ときどき雨を落とす。
日が暮れるのがずいぶんと早くなって、
人の居る場所に
灯りがともる。
私は私の灯を背負って
ベランダからそれを見ていた。
幼い頃
家の前に小さな沼があった。
沼の周りには草が茂り、
その脇に無花果の木があった。
夏を過ぎるとその木には
沢山の無花果がなった。
私は兄とその実を取って食べた。
茎から出る白い汁が
腕についてかゆかった。
私はランプのようなその実の膨らみに
何か惹かれるものがあって、
いつも無花果の木を見上げていた。
ある日、職人がやってきて、
無花果の木をノコギリで切り倒した。
草は刈り取られ
沼は埋められて
アスファルトで舗装され駐車場になった。
ただ黒くて平らな地面がそこにあって
父親が買った車が停められていた。
「きれいになりましたなぁ」
訪れる人は口々にそう言った。
きれいになる、ということは
つまらなくなる、ということなんだな。
その時、私はそう思った。