あこがれ

弥生、三月が進むなら
春を待つ人々の気持ちにもきっと
光が増してくるだろう。
日本人は「あこがれ」の強い民族です
そうテレビの四角い枠は言った。
私たちは強い「あこがれ」によって
突き動かされているのであるから
どんなことだって
信じられないような速度で
成し遂げてきたのだと。
「あこがれ」は損なわれただろうか。
いや、それは損なわれるような
ものではないだろう。
私たちの基本的な成分なのだから。
絶望の有様を
微弱な信号によって
噴霧され続けたものだから、
大切なものを静かに休めてしまった
そういうことだろう。
私が表さなければならないと
思って苦労していたことは、
何ひとつ必要が無かったということに
最近気付いた。
必要なことは苦労して
生み出さなければならないと
思い込んでいたのだ。
そうではなかった。
大切なものは「あこがれ」であった。
それは「苦労している」と感じることなく
取り出せるものだったのである。

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