春を待つうた

なにしろ春が来ようというのだから
雨が降ったり、風が吹いたり、
光が降り注いだりするのも当然の
ことだろうと私は思う。
公園には沢山の人が溢れていて
手を繋いで幸せそうに歩いていたりするけど、
池には水が無く、
魚は泳いでおらず、
鴨の姿は見えず、
わずかに溜まった水に空が映っている。
なにしろ春が来ようというのだから
色々なものが変わってゆくのでしょう。
人はうたをうたって
自分がそうであろうと思うことを
解放しているけれど、
人々はうなだれて酒を飲んでいる。
なにしろ春が来ようというのだから
スーパーには新ジャガが並んでいる。
私はそれを買って皮を剥き、
芽をえぐって茹で、
ポテトサラダにしようとするけれど、
冷蔵庫にマヨネーズは無かった。
しかたなく、オリーブオイルと塩で
味をつけ、夜は更けるのである。
なにしろ春が来ようというのだから。

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