黒い海

「見当たりませんね」
医師はそう言った。
私は彼の手首に巻き付けられた
高級そうな時計を見ていた。
レントゲンの光を
遮るものはなく
黒い海が広がっていた。
「溶けたってことですか?」
「あまりありませんが、そういうことも考えられます」
断定しないのは
可能性を可能性のままにしておく
ということで
正しいことなのかもしれないが、
私は時々、断定することに憧れる。
ぼんやりとした気持ちのまま
青い空の下に出ると
バスを待っている人たちは
年末の顔をしている。
私は街に出て、レコードを買おうと思う。
この頃、古いレコードを買ってきて
聴くことが増えた。
古い音楽を、当時発売されたものの形から
取り出して聴きたいと思う。
音というのはとても不思議なもので、
そのままの形で保存することも
取り出すこともできない。
いつも何か違う形に変換してしまってある。
儀式のように
それを私は取り出したいと思う。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク