光の展示を見て歩く。 色の感じが違うのは 建物の形状と密集の度合いが 違うからなのだろう。 どこまでも続く石畳の上を 歩きながらそんなことを考えていて、 これは見えるものだが、 見えないものも このように違っているのではないか ふと そんなふうにも思った。
九月を使い果たしてしまうと ことし というものは、あと三つの月が 残っているだけである。 残っているものが惜しいと思うのは なんと卑しいことだろう。 ほんとうは 何もかも残り少ないのに。