子供のころ、私は夏が好きなんだ、と思っていた。
しかし、そうではなかった。
私は「休み」が好きだったのだ。
当面学校に行かなくてよい、ということが
夏に対する感謝のような気持ちとなって
夏が好き、というような
短絡した表現となって表面化したのだろう。
熱交換器がなければ
年寄りには命の危険さえある
まるで砂漠のようなところ。
そんな街に私は暮らしている。
私が選んだのだ。
不平不満や
苦しみや悲しみよりも
音楽だ。
すべて音楽に埋めてしまえ。
叫びというのはそうやって折り畳む。
そういう思いは子供のころから変わらない。
何かが過ぎるのを待っていると
何かが近づいてくるのが分かるのだけれど、
それはたとえば電車に乗っていることに似て
降りる駅のことばかり考えている。
ただ外を見ていればいいのに。